アーサー・アンソニー・マクドネル

アーサー・アンソニー・マクドネル(Arthur Anthony Macdonell、1854年5月11日 - 1930年12月28日)は、イギリス東洋学者ヴェーダサンスクリットに通じ、オックスフォード大学の第3代サンスクリット教授をつとめた。『サンスクリット文学史』などの著書があるほか、サンスクリットの文法書や辞典は現在も使われる。

略歴[編集]

マクドネルはスコットランド人[1]ビハール北部のムザッファルプルで生まれた。父は英印軍の軍人だった。1861年に母に連れられてイギリスに引っ越した。その後、ドイツに渡ってゲッティンゲンで教育を受け、1875年にゲッティンゲン大学への入学許可を得て、テーオドール・ベンファイの下でサンスクリット比較言語学の学習を開始した[2]

翌年からオックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジで学び、1880年に学士、1883年に修士の学位を取得した[3]。同校でフリードリヒ・マックス・ミュラーの協力者として働いた[2]。ふたたびドイツに渡ってルドルフ・フォン・ロートについて学び、1884年にライプツィヒ大学の博士の学位を取得して帰国した[2]

オックスフォードのサンスクリット教授だったモニエル・モニエル=ウィリアムズが健康を損なった1888年以降、モニエルの代理として働いた。1899年にモニエルが没すると、後をついで第3代サンスクリット教授およびインド研究所長に就任し、1926年までその地位にあった。

1906年にはイギリス学士院フェロー(FBA)に選ばれた。1921年から1924年まで王立アジア協会の副会長をつとめた。

主要な著書[編集]

マクドネルはとくにヴェーダに関する著書が多い。

教育用の文法書・読本も出版した。

マクドネルのサンスクリット辞典は現在も使われる。

脚注[編集]

  1. ^ Mackenzie, Alexander (1881). The Macdonalds of Glengarry. Inverness: A. & W. Mackenzie. p. 59. https://archive.org/stream/macdonaldsofglen00mack#page/n67/mode/2up 
  2. ^ a b c Thomas (1937) p.530
  3. ^ Joseph Foster, ed (1891). Alumni oxonienses: the members of the University of Oxford, 1715-1886. 3. London: Parker and Co. p. 891. https://archive.org/stream/alumnioxonienses03univ#page/891/mode/2up 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]