アンペックス

アンペックス
Ampex Corporation
本社所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
500 Broadway Redwood City, CA
設立 1944年
代表者

代表取締役社長兼CEO

ゴードン・ストリックランド
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アンペックス・ジャパン株式会社
Ampex Japan Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
143-0006
東京都大田区平和島6-1-1 TRC B棟1F
設立 1959年9月18日
代表者 代表取締役社長 柳生田一範
資本金 1億円
特記事項:設立当初の社名は、日本アンペックス株式会社
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アンペックス英語:Ampex)は、1944年に設立されたアメリカ合衆国のエレクトロニクス会社である。AMPEXはアナグラムで、創設者のAlexander M. PoniatoffからA.M.P、ExcellenceからExを採った。1944年カリフォルニア州サン・カルロスで設立された。

起源[編集]

アンペックス本社
Ampex Portable Tape Recorder
Ampex ATR-102 Tape Recorder

1947年ビング・クロスビーがアンペックスの主要な投資家になる。当時社員は6人で、クロスビーは、オーディオエンジニアのジャック・マリンが開発したプロトタイプのオープンリールテープレコーダーの商用版生産を希望する。マリンのテープレコーダーの原型は、クロスビーが第二次世界大戦終期にアメリカ陸軍通信隊に務めてドイツで得た、改良型のドイツ式マグネトフォンレコーダーであった。

当時はラジオが全盛で、クロスビーは自身の名を冠したラジオ番組を持っていたが、アメリカの東海岸と西海岸でラジオのゴールデンアワーに時差が生じ、全米向けに企画されたラジオ番組は東海岸と西海岸へ向けて時間差で2度生放送することが1940年代まで続いた。クロスビーはこのダブル生放送の負担に閉口し、1946年にNBCネットワークへショーの録音放送を依頼するが、ネットワーク側は当時の大型レコード盤録音による音声品質の劣化を理由に拒絶し、クロスビーはほぼ1年間ショーの放送を断念した。

クロスビーは1947年6月にマリンのテープレコーダーのプロトタイプを聞くと、すぐに新技術の可能性を理解し、マリンに彼のラジオ番組のテスト録音を準備するよう依頼した。テスト放送の成功後にNBCはクロスビーのショーの録音許可に同意し、アンペックス社が商用モデルをマリンのプロトタイプから開発できるように、クロスビーはすぐにマリンをチーフエンジニアに任命し、50,000ドルをアンペックスに投資した。

1952年にレスポールが開発した世界初の8トラック・テープレコーダーが発売される。

プロフェッショナル放送用機材[編集]

1956年2インチテープを使用するビデオテープレコーダー Ampex VRX-1000 を発表し、CBCが実用導入する。1961年ヘリカルスキャン方式を開発し、1963年にビデオの編集技術 EDITEC を発表する。1976年に放送用1インチビデオテープレコーダーを独自新規格として発表し、のちにソニーの規格と統合する。1981年にビデオ特殊効果装置ADO (Ampex Digital Optics) を発表する。放送用ビデオ機材の大手メーカーで、日本国内でもソニーに並び多くのプロフェッショナル映像編集スタジオで導入実績がある。

テレビゲーム[編集]

世界初のテレビゲーム事業成功と関係が深い。世界で初めてテレビゲーム事業に成功したノーラン・ブッシュネル、テッド・ダブニー、ダニー・ブライアン、ブッシュネルの後輩アラン・アルコーンらはアタリ社の前に当社に勤務し、機器の研究や開発に使用したデジタル機器がビデオゲーム技術開発の一助となる。「コンピュータースペース」や「アタリ (企業)」に記述がある。

日本の合弁事業[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「10 東芝アンペックス事件」『神奈川地労委年報 昭和59年』、神奈川県地方労働委員会事務局、1985年6月30日、134-135頁、doi:10.11501/96728052023年10月28日閲覧 

外部リンク[編集]