アントニオ・アルベルト・バストス・ピンパレル

ベト
セビージャFCでのベト
名前
本名 アントニオ・アルベルト・バストス・ピンパレル
António Alberto Bastos Pimparel
愛称 ベト
ラテン文字 Beto
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1982-05-01) 1982年5月1日(41歳)
出身地 リスボン
身長 182cm
体重 81kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1998-2001 ポルトガルの旗 スポルティングCP
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 ポルトガルの旗 スポルティングCP B 25 (0)
2002-2004 ポルトガルの旗 スポルティングCP 0 (0)
2002-2003 ポルトガルの旗 カーザ・ピア (loan) 38 (0)
2004-2005 ポルトガルの旗 シャヴェス 0 (0)
2005-2006 ポルトガルの旗 マルコ 27 (0)
2006-2009 ポルトガルの旗 レイションイス 84 (0)
2009-2012 ポルトガルの旗 ポルト 12 (0)
2011-2012 ルーマニアの旗 CFRクルジュ (loan) 27 (0)
2012-2013 ポルトガルの旗 ブラガ 15 (0)
2013 スペインの旗 セビージャ (loan) 14 (0)
2013-2016 スペインの旗 セビージャ 55 (0)
2016-2017 ポルトガルの旗 スポルティングCP 3 (0)
2017-2020 トルコの旗 ギョズテペ 93 (0)
2020-2021 ポルトガルの旗 レイションイス 13 (0)
2021 ポルトガルの旗 ファレンセ 11 (0)
2022 フィンランドの旗 HIFK 12 (0)
代表歴
2003  ポルトガル U-21 3 (0)
2009-2019 ポルトガルの旗 ポルトガル 16 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年7月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ベト (Beto) ことアントニオ・アルベルト・バストス・ピンパレルAntónio Alberto Bastos Pimparel, 1982年5月1日- )は、ポルトガルリスボン出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー

経歴[編集]

クラブ[編集]

リスボンに生まれたベトは地元のスポルティングCPの下部組織を経てBチームでキャリアを開始した。Bチームで正GKとしてプレーするも、トップチームには1シーズン、しかも第3GKとして1度登録されただけに終わった。近隣のカーザ・ピアACへのレンタルで1シーズン過ごした後、2004年6月に放出された。

1シーズンごとにGDシャヴェス, FCマルコポルトガル語版2部のクラブで過ごした後、2006-07シーズンにレイションイスSCへ移籍し、ほとんどの試合に出場。スーペル・リーガ復帰に貢献した。

2008-09シーズン終了前の2009年3月に同リーグの強豪FCポルトと移籍金75万ユーロ, 6月17日から4年契約を締結した[1] が、2シーズンの在籍での出場機会の殆どが国内カップ戦とブラジル代表エウトンの控えという立ち位置だった。しかし、2011年5月11日にリスボンで行われたヴィトーリアSCとのカップ戦決勝戦(6-2勝利)では、2-2の同点に追いつかれる中、さらにPKを許す非常に苦しい場面で見事に防ぐ活躍を見せ優勝に貢献。3冠達成の偉業に一役買った[2]

2011年夏にルーマニア1部王者のCFRクルジュへ貸与される[3] と、すぐさま正GKの座を掴み7試合を除く全試合に出場しリーグ優勝に貢献した[4]。翌年夏にポルトガルへ戻り、7月13日にポルトからSCブラガへ2年契約で移籍したことが発表された[5]。ブラガでは、同胞で昨シーズンの守護神キムとのポジション争いを制し開幕戦から正GKを務めていた。

2013年1月29日、イケル・カシージャスの長期離脱に伴ってレアル・マドリードへ移籍したディエゴ・ロペスの後釜としてスペイン1部セビージャFCに完全移籍のオプション付きで貸与された[6]アンドレス・パロップの怪我により、加入してから1日後に行われたアトレティコ・マドリードとのコパ・デル・レイ準決勝第1戦(アウェイ1-2敗北)で公式戦初出場。同試合はカードが乱れ飛び、残り時間8分で味方側は9人しか残らない非常に激しいものだった[7]。2月3日のラーヨ・バジェカーノ戦(ホーム2-1勝利)でリーグ戦初出場を飾った。

代表[編集]

2009年6月10日にエストニアとの親善試合でポルトガル代表初出場を飾った[1]。ポルトで2009-10シーズン最終節に先発出場後の2010年5月10日にカルロス・ケイロス監督の下で2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出された[8]。しかし、全4試合をエドゥアルドが務めたことで出番は訪れず、W杯後にルイ・パトリシオが台頭したことでUEFA EURO 2012は3番手に甘んじた。

2014 FIFAワールドカップでは、パトリシオに次ぐ2番手で選出されていたが、パトリシオが初戦のドイツ戦で4失点を喫して敗れたため、第2戦のアメリカ戦は先発に抜擢された。続く第3戦のガーナ戦でも引き続き先発出場を果たしたが、チームは初戦の敗北もあって決勝トーナメント進出を逃した。

個人成績[編集]

クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
スポルティングB 2000-01 4 0 0 0 0 0 4 0
2001-02 21 0 0 0 0 0 21 0
通算 25 0 0 0 0 0 25 0
カサ・ピア
2002-03 38 0 0 0 0 0 38 0
通算 38 0 0 0 0 0 38 0
スポルティングB 2003-04 37 0 0 0 0 0 37 0
通算 37 0 0 0 0 0 37 0
シャヴェス 2004-05 0 0 2 0 0 0 0 0
通算 0 0 2 0 0 0 0 0
マルコ 2005-06 27 0 0 0 0 0 27 0
通算 27 0 0 0 0 0 27 0
レイションイス 2006-07 28 0 3 0 0 0 31 0
2007-08 25 0 4 0 0 0 29 0
2008-09 30 0 4 0 0 0 34 0
通算 83 0 11 0 0 0 94 0
ポルト 2009-10 6 0 6 0 1 0 13 0
2010-11 6 0 4 0 1 0 11 0
通算 12 0 10 0 2 0 24 0
CFRクルジュ
2011-12 27 0 0 0 0 0 27 0
通算 27 0 0 0 0 0 27 0
ブラガ
2012-13 15 0 0 0 7 0 22 0
通算 15 0 0 0 7 0 22 0
セビージャ 2012-13 14 0 2 0 0 0 16 0
2013-14 33 0 0 0 10 0 43 0
2014-15 18 0 1 0 5 0 23 0
2015-16 4 0 0 0 1 0 4 0
通算 69 0 3 0 16 0 88 0
通算 271 0 26 0 25 0 322 0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

レイションイスSC
FCポルト
CFRクルジュ
セビージャFC

脚注[編集]

外部リンク[編集]