アリス・ベーコン

アリス・ベーコン

アリス・メイベル・ベーコン(Alice Mabel Bacon、1858年 - 1918年5月1日)は、アメリカ人女性教育者。

明治期の日本に招聘された教育者。『日本の内側』、その後に著した『日本の女性』(日本語訳題『明治日本の女たち』)は明治時代の日本の女性事情を偏見無く書いた史料として貴重であり、ルース・ベネディクトが『菊と刀』を執筆するときに参考文献とした。ちなみに『日本の女性』の前書きには「生涯の友人・大山捨松に捧げる」という一文が添えられ、捨松とは死ぬ直前まで文通を交わしていた。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

父はコネチカット州ニューヘイブン牧師であったレオナルド・ベーコン英語版、母はキャサリン。キャサリンは後妻で、アリスは14人兄弟の末娘であった。

父・レオナルドは牧師のほかイェール大学神学校の教師も務め、南北戦争の時、いち早く奴隷制に反対する論陣を張るなど、人望が厚く地元の名士であった。子沢山であったため生活は非常に苦しかったという。1872年、日本から来た女子留学生の下宿先を探していた森有礼の申し出に応じて山川捨松を引き取ったのは、日本政府から支払われる多額の謝礼が目当てであったともいわれる。しかし、レオナルド夫妻は捨松を娘同様に扱い、特に年齢の近かったアリスとは姉妹のように過ごした。

アリスは地元の高校ヒルハウス・ハイスクールを卒業したものの、経済的な事情で大学進学を諦めた。しかし1881年に、ハーバード大学の学士検定試験に合格して学士号を取得し、1883年にハンプトン師範学校正教師となる。

日本へ[編集]

津田梅子、アリス、瓜生繁子、大山捨松

1884年に大山捨松や津田梅子の招聘により、華族女学校(後の学習院女学校)英語教師として来日する。来日中の1年間の手紙をまとめたものを1894年『日本の内側』(日本語訳題『華族女学校教師が見た明治日本の内側』)として出版し、反響を呼ぶ。帰国後はハンプトン師範学校校長となったが、1900年4月、大山捨松と津田梅子の再度の招聘により女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)と津田梅子が同年に創設した女子英学塾(現・津田塾大学)の英語教師として来日した。女子英学塾では無報酬で教師を務め、梅子と同様に塾に住み込んで塾に「家賃」を支払い、資金難に苦しんでいた塾の経営を助けた[1]1902年4月に任期満了でアメリカに帰国した。

帰国後[編集]

帰国後も教育に身を捧げ、一生独身であった。ただし、渡辺光子と一柳満喜子という2人の日本女性を養女とした。一柳満喜子は女子英学塾の教師になることを期待されたが、帰国後ウィリアム・ヴォーリズと結婚した。

著書[編集]

出典[編集]

  1. ^ 山崎 1988, pp. 203–204

参考文献[編集]

  • 久野明子『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』中央公論社 ISBN 4122019990
  • 平松隆円(監訳)『メレル・ヴォーリズと一柳満喜子』水曜社、2010年 ISBN 978-4880652467
  • 山崎孝子『津田梅子』吉川弘文館〈人物叢書 新装版〉、1988年。ISBN 4-642-05122-8