アクタ・ディウルナ

アクタ・ディウルナラテン語: Acta Diurna)とは、かつて古代ローマにあった新聞に似た官報の一種で、新聞の起源や「世界最古の新聞」と言われる[1]。「アクタ(Acta)」は「議事録」を意味し[1]、アクタ・ディウルナは「その日その日の議事録」と言う意である[2]。「アクタ・プブリカ(Acta Publica)」や「アクタ・ポプリ(Acta Populi)」などの別名もあるが、単に「アクタ」や「ディウルナ」と呼ばれた[2]。「ディウルナ」は後に「ジャーナリズム」の語源になったことで知られる[3]

白塗りの板に文字が刻まれた掲示板のようなものであったとされ、元老院の議事を中心として法廷記事や一般市民の出生・死亡などのニュースを取り混ぜてローマ市民に公示された[2]

五賢帝時代の歴史家政治家ガイウス・スエトニウス・トランクィッルスの『十二皇帝伝英語版』によるとガイウス・ユリウス・カエサル執政官(コンスル)に就任した紀元前59年に、「アクタ・セナトゥス英語版」と共にカエサルの命令によって定期的に発行されたとされる[2]。アクタ・セナトゥスは特に元老院の議事や議決を記載したもので、アウグストゥスの時代に禁止令が出されている。

明らかではないが、アクタ・ディウルナは330年頃には実態を失っていたとされる[1]

脚注[編集]

参考文献[編集]