はてなの茶碗

はてなの茶碗(はてなのちゃわん)は、古典落語上方落語の演目の一つ。東京では「茶金」の名で演じられる。

三代目桂米朝が、子供の頃にラジオから流れていた二代目桂三木助の口演の記憶をもとに戦後復活させた。現代では、米朝の実子五代目桂米團治などが得意として口演している。

あらすじ[編集]

京都清水音羽の滝のほとりで、大阪出身の油屋の男が茶屋で休憩していた。そこに京では有名な茶道具屋の金兵衛、通称「茶金」が、茶屋の茶碗のひとつをひねくり回しながら、しきりに「はてな?」と首をかしげた後、茶碗を置いて店を出た。それを見ていた油屋は、あの茶金が注目していたことからさぞかし値打ちのあるものに違いないと考え、茶屋の店主にその茶碗を買いたいと申し出る。同じことを考えていたため断る店主であったが、油屋は売ってくれなければ過失を装って割ってしまうと脅迫まがいの交渉を行い、最終的に二両で茶碗を手に入れる。

油屋はさっそく茶碗を緞子と桐箱に収めると茶金の店へ押しかけ、応対した番頭に千両の値打ちがあると言って茶碗を売り込むが、どう見てもただの数茶碗に番頭は買い取りを拒否する。しかし、自信がある油屋はごね、番頭と押し問答となり、最終的に金兵衛自ら出てくる。茶碗について聞かれた金兵衛は、ヒビも割れもないのに、どこからともなく水が漏れるので、「はてな?」と首をかしげていただけだと明かす。油を仕入れる金も残っていないと意気消沈する油屋であったが、通人でもある金兵衛は、油屋から三両で茶碗を買い取り、いつか親元へ帰って孝行できるよう、地道に励むように諭す。

後日、茶碗を実見した関白・鷹司公によって「清水の 音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」という歌が詠まれる。この話が公家たちの間で評判となり、さらには時の帝も興味を持ち、この茶碗から滴った水は御裾を濡らした。茶碗には帝の筆による「はてな」の箱書きが加わり、金満家にして好事家の鴻池善右衛門が千両の保証金と引き換えに預かるという体裁で、金兵衛から茶碗を買い取る。思いがけない展開であったが、やはり通人である金兵衛はこれを自分だけのものとせず、油屋を探し出すと半分の五百両を渡し、残りを慈善の施しに使い、余った分で家中の者たちのための宴を開きたいと告げる。油屋は深く感謝し、金兵衛のもとを辞する。

すると後日、再び油屋が金兵衛の元に現れ、「十万八千両の金儲け」だという。理由がわからない金兵衛が問いただすと油屋はこう答えた。

「今度は水甕の漏るやつを見付けて来ました」

概略[編集]

  • 戦後途絶えていたのを資料を基に再構成したもので、基本の筋はそのままだが、ほぼ米朝による創作とされている。一山あてようとする油屋のエネルギッシュさ、それを受け流す茶金の鷹揚さとが見事な対比を成していて、店先での両者のやり取りがこの噺の眼目でもある。とくに、鴻池、関白家、宮中、とのつながりのある茶金の存在感は大きく、「『店が騒がしい』の一言が日本第一の文化人、茶金になっている」[1]と評されているように、品格が求められ、演じ方が難しい。また、関白や時の帝が出てくる唯一の噺で、その点でもスケールが大きい。
  • 鴻池、関白、帝の台詞は地の文とそんなに違わないように演じる口伝がある。また、サゲの直前でも地の文と台詞の移行が難しい箇所があり、いずれも演者の手腕が求められる。自ら高座によく上がる松尾貴史がこの噺を演じたとき、米朝の口演のCDを繰り返して聞いて練習したおかげで、この箇所を上手く演じ、称賛を受けたことがある。

舞台化[編集]

2023年、わかぎゑふの脚本・演出による舞台『上方落語~はてなの茶碗より~伊之吉の千両茶碗』が、5月に大阪・新歌舞伎座、6月に名古屋・御園座で上演。

油屋の伊之吉を松平健、金兵衛を五代目米團治、金兵衛の息子を辰巳ゆうとが演じる。

脚注[編集]

  1. ^ 小佐田定雄「米朝落語の舞台裏」ちくま新書1123 2015年 P・208 筑摩書房