きな粉雑煮

きな粉雑煮(きなこぞうに)は、奈良県、および、その周辺部で食べられる雑煮、あるいは、その食べ方である。

概要[編集]

奈良県の雑煮を特徴付けるのは、椀のを箸で汁から取り出し、別皿のきな粉にまぶして食べることである。雑煮そのものは、白味噌仕立てで、サトイモダイコン豆腐を入れて白一色にする家庭と、ニンジンを加えて紅白にする家庭がある。関西の他府県同様、丸餅であるが、焼いて入れるのは奈良独特である。奈良県農林部は『「奈良のうまいもの」郷土料理』で「奈良の雑煮は、一風変わっていて雑煮の餅を砂糖入りのきな粉につけて「あべかわ餅」のようにして食べます。椀の中では、人の頭になるように頭芋(ヤツガシラ)、豆腐は白壁の蔵、コンニャクは土蔵の象徴で蔵が建つようにと四角く、丸く一年過ごせるように、餅は丸餅、大根、ニンジンは輪切りに、きな粉の黄色は、米の豊作を願うなど、家族の健康と子孫繁栄を願っています。[1]」と紹介している。

地域の広がりと特徴[編集]

名称について[編集]

この雑煮の際立った特徴を全国に知らしめたのは「きな粉雑煮」という名称にある。きな粉を付けて食べるという特徴がなければ、餅を焼くということを除いて、京都大阪の関西風雑煮とあまり変わらないため、それほど注目されることはなかったと思われる。その食べ方は多くの奈良県民にとってごく当たり前の食べ方であったため、例えば、寿司醤油をつけて食べるのを敢えて「醤油寿司」と言わないのと同様、通常は単に「雑煮」と呼ばれていた。2005年(平成17年)以前の文献によると、

  • 農山漁村文化協会の『聞き書奈良の食事』は、奈良盆地、斑鳩の里、奥宇陀の章で、きな粉を付けて食べることにごく簡単に触れている。[3]
  • 奈良の食文化研究会による「大和雑煮」(取材・文 岩城啓子、2000年1月)は、きな粉を添えることに簡単に言及している[4]
  • 田中敏子の『大和の味』「大和雑煮」では、きな粉については一切言及していない[5]
  • 冨岡典子の『大和の食文化』「大和の雑煮」は、きな粉をまぶして食べることについて、「この作法は大和固有のものである。」と述べている[6]

のように、きな粉と絡めることを「食べ方」と考えて雑煮と切り離してとらえていたり、言及してもその特徴を特に強調するものではなかったりした。

「きな粉雑煮」という名称が最初に広まったのは、2005年に文化庁が主催した「お雑煮100選」で、奈良県東吉野村立小川小学校(現・東吉野小学校)の応募した「きな粉雑煮」が審査員特別賞に選ばれ[7]、全国的に報道されたことによる。「きな粉」も「雑煮」も多くの人に理解されるが、その2語を合わせて「きな粉雑煮」とした途端に、経験のない人には全く想像できない衝撃的な名称となり、独特の食べ方が県民以外に知られることとなった。

その後、奈良県の郷土料理としてこの名称が採用され[1]、正月時期にはホテルやレストランで奈良名物として提供されるなど、観光資源としての価値が見出されている[8]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「奈良のうまいもの」郷土料理”. 奈良県農林部 (2007年3月19日). 2007年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月2日閲覧。
  2. ^ 角山美穂; 奈良新聞 (2002年1月). “大和の新郷土料理”. 『みどりのミニ百科集』. 奈良県農林部. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月2日閲覧。
  3. ^ 『聞き書奈良の食事』日本の食生活全集29 農山漁村文化協会、1992年、ISBN 978-4540920035
  4. ^ 奈良の食文化研究会『出会い 大和の味』奈良新聞社、2007年7月1日、ISBN 978-4888560658、42-43頁。
  5. ^ 田中敏子『大和の味』奈良新聞社、2001年10月10日、ISBN 4-88856-037-4、127-128頁。
  6. ^ 冨岡典子『大和の食文化』奈良新聞社、2005年9月25日、ISBN 978-4888560542、8-9頁。
  7. ^ 文化庁『お雑煮100選』女子栄養大学出版部、2005年11月15日、ISBN 978-4789547338、30-31頁。
  8. ^ 「【きな粉雑煮】素朴な味 名物にせんと!」 朝日新聞、2010年12月22日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]