おしん

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おしん
ジャンル テレビドラマ
原作 橋田壽賀子
脚本 橋田壽賀子
出演者 小林綾子(少女期)
田中裕子(青年期)
乙羽信子(中年期)
泉ピン子
伊東四朗
大路三千緒
高森和子
北村和夫
ガッツ石松
並樹史朗
今福将雄
金田明夫
山下真司
田中好子
長岡輝子
渡辺美佐子
小林千登勢
渡瀬恒彦
ナレーター 奈良岡朋子
時代設定 明治後期〜昭和後期
製作
プロデューサー 岡本由紀子(小林由紀子
制作 NHK放送センター
放送
放送国・地域 日本の旗 日本ほか#海外での放送を参照
放送期間 1983年4月4日 - 1984年3月31日
放送時間 月曜〜土曜 8:15 - 8:30
放送枠 連続テレビ小説
放送分 15分
回数 297[1]

特記事項:
撮影=4:3 SDTV

おしん』は、1983年昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていたNHK連続テレビ小説第31作。

8月15日から8月20日までの6日間は『もうひとりのおしん』放送につき中断、NHKの連続テレビ小説では『鳩子の海』以来の1年間放送となった。全297話。NHKテレビ放送開始30周年記念作品。

概要[編集]

解説[編集]

連続テレビ小説の定番である“戦中と戦後の混乱期を逞しく生きた女一代記”の一つ。下記の理由から、朝ドラの最高傑作とされる。1983〜1984年の平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%(1983年11月12日放送 第186回)。これはビデオリサーチの統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録となっている。小林綾子の少女期おしんは第4回から第36回まで、田中裕子の青春・成年期おしんは第37回から第225回まで、乙羽信子の中年期おしんは第226回から。老年期(役は中年期と同じく乙羽。白髪の様相が特徴)おしんは第1回から登場するが、人生の進行に伴っては第285回から登場する。作品では、おしんの幼年期の苦労を描いただけではなく、義理や周りを見ることなく他人を押しのけてまで銭儲けをしてもいずれ自分を追いやってしまう、人として本当に大切な物は何かというメッセージが、おしんが人生の歩みの中で出会ってきたたくさんの恩人の言葉を通して散りばめられている。

作品は、スリランカインドネシアフィリピン台湾香港ベトナムアフガニスタンシンガポールエジプトイランなど世界68か国や地域で放送され、苦難に遭いつつも決してあきらめず、明治大正昭和という貧困・戦乱・復興の中を生きた主人公・おしんの姿が、日本だけでなく世界各国で人々の共感を呼び、「オシンドローム」という言葉を生み出した。「世界で最もヒットした日本のテレビドラマ」とされ、なおファンが多く根強い人気がある。

NHKの連続テレビ小説において、初めてクレジットロールに方言指導者が明示された作品である(定着するのは『いちばん太鼓』から)。田中ゆかりは『おしん』を「『本格方言ドラマ』の嚆矢」としている[2]。また、1983年10月放送の『おしん』において、日本初の字幕放送の実験放送が行われた(本放送は『いちばん太鼓』から)[3]

朝日新聞2010年9月25日付のbeランキング「心に残る朝ドラヒロイン」アンケート結果では、本作の田中裕子が第2位だった(第1位は樫山文枝おはなはん』、第3位は国仲涼子ちゅらさん』)。

本編以降の放送日程[編集]

  • 1990年代以降、総集編がBSと地上波で放送された。
    放送日:BS2 1999年10月25日 - 1999年10月28日 20:00 - 21:30
    地上波:2000年3月20日 - 2000年3月23日 21:35 - 23:05
  • 2003年4月からは、本放送20周年記念で、毎週月曜日 - 土曜日の夜7時30分からNHK衛星第2テレビジョンで全297話が再放送され、放送終了後の7時45分からは藤原勝也が司会進行で『BSおしんだいすき』という5分間のミニコーナーで、次回予告や視聴者からのお便り紹介、ドラマに登場した当時の風俗や用語解説を行った。また小林綾子丸山裕子今福將雄がゲストで登場したこともあった。なお、当番組が放送されていたため、2000年から12月1日に放送されている『デジタルドリームライブ』は、この年に限って15分遅い放送開始となっている。
  • 全話放送は2003年以降からでそれ以前は少女編と総集編のみ再放送されていた。これは当時田中裕子が所属していた文学座の許可が下りなかったためである。田中におしんのイメージが固定されるのを避けるための文学座の配慮ともいわれている[4]
  • 2008年から2010年にはファミリー劇場でも全話297回を2年間に渡って2回リピート再放送されている。
  • 連続テレビ小説の放送50周年を記念し「おしん総集編」が2011年11月25日に、NHKよりDVD-Videoがリリースされた。なお売り上げ本数は9,000セットで、『ちりとてちん』に抜かれるまで朝ドラDVD最高記録だった[5]
    総集編はおしんの成長に合わせた展開で進み、小林と田中が活躍する部分に旅する老年期のおしんは一切登場する事無いが、最終話「最上川・時の流れ」で山形と東京を見て回るシーンが少し挿入されている。
    【収録内容】
    • DISC.1 第一話「最上川・ふるさと」 第二話「結婚・大震災」
    • DISC.2 第三話「流転」 最終話「最上川・時の流れ」
    • DVD2枚組
    • 収録時間354分/画面サイズ4:3/モノラル/カラー/日本語字幕
  • 2013年、本放送30周年記念で、総集編と全297話がBSプレミアムで放送された[6]
    総集編:2013年1月1日〜4日 18:00〜19:30
    全297話:2013年1月6日〜12月15日 毎週日曜日 10:00 - 11:30(毎週、1週間分を放送)、字幕放送
  • 2019年、連続テレビ小説100作放送を記念して全297話がBSプレミアムで再び放送される事になった[7]
    全297話:2019年4月1日〜2020年3月(予定) 毎週月~土曜日 7:15 - 7:30、字幕放送

『おしん』誕生[編集]

『おしん』誕生のきっかけは、「ある明治生まれの女性が、人に言えない過去を病床で綴ったものでした。子守り奉公したり、“女郎屋”に売られたりね」という、1979年に原作者の橋田壽賀子へ寄せられた1通の手紙であった。静岡県榛原郡川根本町出身の丸山静江の半生を、次女の千鶴子が代筆し、橋田壽賀子が「主婦と生活」誌で連載していた「母たちの遺産」に送ったことが発端である。その後のドラマ化にあたり、橋田壽賀子やNHK番組関係者から取材を受け、脚本作りに協力した。ドラマでは、丁稚に出る幼いおしんが、最上川いかだで下るシーンが名場面として知られているが、丸山静江も榛原郡金谷丁稚に出るため、大井川を筏で下って行ったという[8]

主人公のモデルについては、誤報や誤解も多く、「ダイエー中内功」や「ヤオハン和田カツ」とする噂話も存在した[9]。しかし、「母たちの遺産」での取材内容などをヒントにはしたが、特定のモデルは存在しないことを橋田自身が明言している[10]。「ヒントはいただいたが、モデルはいない。いるとすれば、それは苦難の時代を生き抜いてきた全ての日本人女性です」

明治世代の人の苦労を伝えるのは、自分達の世代の義務だと感じた。「でもテーマが地味過ぎて、どのテレビ局にも断られました。NHKでも、かなり反対があったんですよ。『明治物は、当たらない』と言われてましたし…。川口幹夫放送総局長(当時)の賛成で、やっと決まったんです」と橋田は述べている[11]

おしんの誕生年と昭和天皇の誕生年は同じ明治34年となっている。これは橋田壽賀子の意図的な設定であり、「この作品は昭和天皇にご覧頂きたくて書きました。だからおしんの誕生年を陛下と同じ明治34年にしました」と語っている[12]

おしんというネーミングの由来は「信じる、信念、心、辛抱、芯、新、真」などの「しん」とされており、「日本人は豊かになったが、それと引き換えに様々な『しん』を忘れてしまったのではないかと思って名付けた」と橋田は述べている[13]

キャスティング[編集]

少女編を担当する子役を選ぶため、五次審査まであるオーディションが行われた。四次選考で5人が残り最終審査に小林綾子ともう一人の2人に絞られた。実は小林でないもう一人が本命だったが、人気子役でスケジュールが合わないため、小林綾子に決まった[14]

ドラマ撮影[編集]

おしん少女時代の撮影は山形県の中山町岩谷地区で撮影された。ここで出演者の控室や囲炉裏のセットのモデルとなった築150年の農家の家が、地元有志によって「おしんの生家」として保存されていたが、2012年(平成24年)冬に雪の重さで倒壊。その後、鶴岡市の庄内映画村オープンセットに移築されている[15]

当初NHKが山形での現地撮影に便宜を図って貰おうと山形の権威ある人物に協力をお願いに行ったところ、「山形はそれでなくても日本のチベットのように言われている。そんな貧乏物語に力は貸せない」と追い返された[16]

最上川川下りのシーンの撮影は、大江町役場の全面的な協力でいかだが再現された。当時ほとんど見られなくなっていた筏を地元の元船頭の当時72歳の男性の指導で製作。この男性が撮影で船頭もつとめた[17]

両親が口減らしのため丁稚奉公に出す『おしんを見送る最上川川下りのシーン』は、貧困による窮乏と悲惨さを象徴し、本ドラマの代表シーンとして、必ず引き合いに出されるほど有名なシーンである。このシーンの撮影が終わるとスタッフや見物の人々から大きな拍手がわきあがった。しかし、父の作造が登場する場面は別撮りで、後年になって伊東四朗は、おしんの姿を見ずに演じることが大変であったことを明かした。なお伊東は、2000年の連続テレビ小説『私の青空』に、ヒロインの父親として登場し、船に乗って旅立つヒロインとその子供を港で見送るという、当作のようなオマージュシーンが存在する。

小林綾子演じる少女時代のおしんが奉公先から脱走するシーンは、ロケ地の雪山で本物の雪を巨大な扇風機で飛ばして撮影された。その後の山小屋暮らしの撮影も雪山で行われ、麓の旅館と雪山を30分かけて往復したという[18]

中村雅俊が演じる脱走兵・俊作がハーモニカで奏でている曲はアイルランド民謡原曲の『庭の千草[1]』という明治時代の小学唱歌で、何度かおしんも吹いている。

東てる美並木史朗の回想によれば、橋田壽賀子の脚本特有の長台詞に役者たちは皆苦労しており、撮影の合間も食事中も雑談する暇もなくひたすら台詞の練習をしていた[19]田中裕子は脚本と評判のいい少女編を受け継ぐプレッシャーの中、撮影中に倒れて救急車で運ばれて入院、1か月撮影が中断した[20]

物語[編集]

1983年昭和58年)新春、北へ向かう列車の中である老婦人が座っていた。彼女の名は田倉(たのくら)しん

三重県志摩半島各地に構えるスーパーマーケットの経営者であった彼女は、新店舗開店という記念すべき日に行方を眩ましてしまった。一族が騒然とする中、おしんとは血こそ繫がらないものの、孫同然の間柄である大学生・八代圭(やしろ けい)は昔、おしんが語ってくれた思い出話を頼りに、山形県銀山温泉へ捜索の旅に出た。

その地でおしんと出会った圭は、今すぐ三重へ戻るよう説得するも、おしんは帰ろうとせず、山形の山奥にある廃村に行こうとしており、話を聞かない。だが圭はおしんの願いを叶えてあげたいという気持ちになり、彼女をおぶって雪深い山道を進み、廃村へと辿り着いた。そこがおしんの生まれ故郷であり、雪の中で廃屋となっていた我が家を見たおしんの眼には涙が浮かんでいた。

そうして、おしんは圭にこの家出が80年以上の人生で自分は一体何を得て、何を失ってしまったか。また、自分のことだけしか考えない経営方針に突き進む息子・(ひとし)を、どこででそういう息子にしてしまったのか、を振り返るための旅だと打ち明ける。

少女編(第1回〜第36回)[編集]

物語は明治40年(1907年)の春、明治も終わりにさしかかった山形の貧しい小作の娘・谷村しんの少女時代から始まる。おしんの家は父・作造、母・ふじ、祖母・なか、兄・庄治、既に年季奉公に出ている姉・はる、みつ、そして弟・正助、妹・こうにおしんを入れて9人家族だった。その年、数え年で7歳になるおしんは、4月から尋常小学校へ通うのを楽しみにしていた。しかし家はここ数年の凶作地主への借りも積り、食事は大根飯で食いつなぐ貧しい生活だった。

作造は口減らしの為におしんに奉公に出るよう命じる。おしんは嫌がり、ふじなかはおしんがまだ7つだと反対する。だが、おしんはなかがおしんの為に食事の回数を減らしていたのを知る。後日、おしんはふじが冷たい川に入っていくのを見て助けを呼ぶ。ふじは引き上げられるがそれは堕胎のためだった。おしんはこれから生まれる子のために1年奉公に出ることを承知する。口入れ屋・源助が年季奉公の前払いとして米一俵(当時の相場で約4~5円。現在の約8~10万円前後)を届けてくる。奉公に出る日、なかはおしんにこっそり50銭銀貨(現在の約1万円程)を渡す。最上川を材木問屋の奉公人定次の筏で下る途中、堤防の上を走っておしんを追いかける作造が泣き崩れる姿を目撃し、おしんは父も苦しんでいることを知る。

左澤町の中川材木店で、おしんは店の主人の軍次の子・の子守をする。おしんのお目付け役である材木店の奉公人つねは厳しく、ここでも大根飯、雪降る中で川でおしめを洗う辛い奉公生活だった。ある日、尋常小学校を覗いたおしんは授業をしていた松田先生と出会う。松田は夕方中川材木店を訪ねて来て、軍次きんにおしんを小学校に来させるように説得。軍次は子守りを承知でならと承諾する。おしんは喜ぶが、つねは反対し、おしんを昼飯抜きにする。おしんはそれでも学校へ通う。見かねた松田はおしんに昼飯を持ってくる。しかし同級生たちは松田の贔屓を快く思わず、おしんをいじめる。武への危害を恐れ、おしんは学校をやめる。

定次から上流から筏を流すついでに谷村家にお使いに行ってやると言われたおしんは習い覚えたカタカナで手紙を出す。定次は字の読めないふじなかに手紙を読み聞かせる。おしんは心配させぬよう辛い事は一切書かず、腹一杯食わせてもらっていると嘘を書いた。町では憲兵が脱走兵を探し回っていた。季節は冬。つねの財布から50銭銀貨がなくなる。疑いをかけられたおしんは大事な50銭銀貨を取り上げられてしまう。辛いだけならまだしも盗人扱いされたおしんは辛抱の糸が切れ、川の上流にある実家に向かい吹雪の中を歩き出す。

気がつくとおしんは見知らぬ青年に抱かれていた。猟師の俊作が吹雪の中行き倒れとなっていたおしんを見つけ、体を温めてくれたおかげで、おしんは凍死を免れる。ゆくあてのないおしんは、俊作と炭焼き・松造が暮らす月山が見える山小屋に春まで厄介になることになる。203高地で負った銃創が原因の高熱で倒れた俊作をおしんは懸命に看病する。回復した俊作はおしんに読み書きや算術を教える。おしんにせがまれ、俊作は与謝野晶子の詩、『君死にたまふことなかれ』を朗読し、戦争の残酷さ、反戦を説く。

おしんが失踪してから20日。つねの財布から50銭銀貨を持ち出したのは軍次だったと判明するが、つねはおしんが家に逃げ帰ったと思い、源助を呼びつけると、前払いの米一俵の回収と50銭銀貨の返却を依頼する。源助から銀貨を渡されたふじは、おしんが死んだと思い悲しむ。

おしんは、毎日腹いっぱい食べ、勉強できる幸せな日々を送っていた。春がきていよいよ家に帰ることになる。足をくじいた松造にかわって、普段人前に出ない俊作がおしんを連れて山を下りる。俊作から愛用のハーモニカをもらったおしん。だが山狩りの兵隊につかまり、もみ合いの末、俊作は射殺される。おしんは憲兵の取り調べで、俊作が脱走兵として追われる身だったと知る。ようやく家に帰ったおしんにふじとなかは喜ぶが、作造は激怒、兄の庄治も村で白い目で見られると愚痴る。松造はおしんをこっそり訪ね、俊作の身の上を話したあと去っていった。家では妹のすみが生まれていた。

年季奉公が明けたはるが家に戻ってくるが、すぐに製糸工場へ勤めに出た。次の奉公先が決まらないおしんは、はるがくれた小遣いで買った石盤でこっそり字の練習をする。その年も凶作で、生活に行き詰まった作造は一家でブラジル移民を決意するが、年老いたなかは置いていくという。悲観したなかは川へ身投げしようとするが、おしんに止められ、移民の話は立ち消えになった。そこで乳飲み子の末妹・すみを養女に出し、ふじが銀山温泉へ働きに出ることになる。おしんはふじに代わって村の共同作業の杉苗植えをする。

りきが子守り奉公の話を持ってくる。奉公先は酒田米問屋加賀屋で2年で米5俵(当時の相場で約6円/俵。5俵は現在の約60万円前後)だという。おしんは再び奉公に出ることを決意するが酒田に行く前に銀山温泉で働くふじに会うことを望み、家族に黙って銀山温泉(おしんの村付近西置賜郡白鷹町鮎貝から約73kmの道のり)に徒歩で向かう。酌婦になっていたふじはおしんの訪問に驚くが、母子で一夜を過ごす。翌朝、おしんはふじに似ているこけしを譲ってもらい旅立つ。酒田の加賀屋に着いたが、跡取り息子の嫁である若女将みのはまだ加賀屋の意思決定権をもつ大奥様のくにに子守の雇用に関する許可を得ておらず、困惑しておしんを帰らせようとするがおしんは実家の窮状を訴えてなんとしても奉公させて貰えるよう哀願する。その話にほだされたくにはおしんを奉公人として迎え入れ、みのの末娘小夜の子守りをさせる。おしんの働きぶりにくには酷く感心し、同い年の孫娘・加代の教育に利用する。

ある日、おしんは加代の部屋にあった美しい絵本に魅入られて持ち出してしまう。読んでいたところを加代に見つかってしまい、清太郎みのに盗人扱いされるが、くにはおしんの見事な朗読を聞いておしんの”読んでみたかっただけで盗みの意思が無かった”ことを信用し、勉強嫌いの加代を逆に嗜めた。だが、その後清太郎みのは、街で聞いてきたおしんが奉公先から逃げ出し脱走兵と暮らしていた過去を知り、更に不信感を抱く。

おしんは俊作の形見であるハーモニカを取り上げようとした加代と取っ組み合いの喧嘩になり、加代に怪我をさせてしまう。くにはおしんが居なくなることを惜しんだが、加賀屋の中で完全に庇うことが出来る筈も無くおしんをを出すことに決め、別の奉公先を見つけてくる。おしんは解雇されることを覚悟し、加代への詫びの気持ちとしてススキの穂で作ったミミズクを託す。ミミズクを受け取った加代はその出来栄えと、銭でハーモニカを譲らなかったおしんの高邁な自尊心に思い至り、おしんをどこにもやらないでくれとくにに懇願する。

加代はおしんに心を開くが、みのと清太郎は訝しむ。加代はくににおしんも学校に行かせて欲しいとねだるがくには奉公人のおしんには仕事があると断る。その代り子守奉公の仕事が終わった後、くにはおしんに寺子屋仕込みの手習い算盤を教えはじめ、加代も一緒に手習いをするようになった。だがみのからは奉公人の分を超えていると嫌味を言われ、いたたまれなくなったおしんはくにに辞退を申し出るが根性を出して続けてみろと諭されて続けることになる。

酒田にも送電が行われることになり、加賀屋に電気を通すための工事が行われるが、建てられる途中、電信柱が倒れる。工事を見ていた加代が危うく下敷きになるところをおしんがかばい、事なきを得る。足がすくんで何もできなかったみのは感激し、以後、おしんを実の娘同様に可愛がるようになる。

正月を迎え、9歳になったおしんは加代とお揃いの晴着で初詣に行く。そこで酌婦になったふじが客の男といるのを見かける。その夜、加賀屋の近くに不審な女がいると聞いたおしんは、外に出てふじと再会する。くには陰から一部始終を見届け、家に戻りひっそり泣くおしんを慰める。その後もおしんは傲る事なく奉公人として勤め、加賀屋になくてはならない存在になっていった。加代が洋服を買ってくれなければ学校に行かない、買うまで飯は食わないとわがままを言う。くにはおしんに大根飯を炊かせ、加代とおしんに食べさせる。大根飯を食べた加代は、おしんの境遇を想い、わがままをやめる。

ひな祭りの祝いにりきが顔を出す。なかが危篤と聞いたくには、おしんに米一を持たせ、急ぎ家に帰らせる。なかはおしんの炊いた白米粥を食べ、息を引き取る。野辺の送りに歩くおしんは、家族のため働きづめで死ぬような女にはならないと心に誓う。なかが布を織って貯めた50銭銀貨を形見にもらい、おしんは加賀屋に戻る。

青春編(第37回〜第86回)[編集]

第一次世界大戦大戦景気に沸く大正5年(1916年)おしんが加賀屋へ奉公に来て7年の歳月が過ぎた。16歳になったおしんは女中として家事の他、くにに茶道や帳場の手伝いまで仕込まれ、忙しく働いていた。一方、加代は絵描きを目指す自由奔放な女に成長し、女学校を辞めようとしていたそんな折、おしんに縁談が持ち込まれる。相手は相場で儲けた酒田の成金大店(おおだな)、桜木家の凡庸な息子であったが貧乏の辛さを知るおしんは、くにの紹介でもあり話を受け入れる。

ある日、おしんはみのに頼まれ、風景画を描くために砂丘に出かけた加代を呼びに行く。そこで警察に追われる高倉浩太を助ける事になる。加代は浩太に惚れる。ところが浩太はおしんを気に入り、何かと用を頼む。浩太は地主の息子でありながら小作争議に命をかける男だった。おしんはそれを知り、浩太に心惹かれるようになる。浩太は過去に奉公人との悲恋がありそれが今の運動をするきっかけだという。浩太は酒田を去るが、加代に内緒でおしんが浩太と会った事が加代に知られる。おしんは縁談と浩太の間で揺れる。

ふじが加賀屋に口利きしてもらい、女丁持になる。加代はおしんへの浩太からの手紙を盗み見て家出すると、再び酒田に来た浩太の下へ行く。加代はおしんの縁談を浩太に教え、強引に二人で上京してしまう。おしんは桜木の家に手伝いに行くが、酔って絡んできた婚約者である桜木の息子を池に突き落とし、縁談は破談になる。おしんは縁談を破談にしたこと、加代と浩太の事を加賀屋の人間に隠している事に耐えられず加賀屋から暇を貰い帰郷する。

おしんの戻った実家に、奉公先の製糸工場で肺病を患い、瀕死の姉・はるが帰ってくる。おしんははるが密かに好意を寄せていた、製糸工場の監督員・平野にはるの見舞いに来てもらう。作造が口入れ屋・勝次を連れてきて、おしんの料亭奉公を決めるが、はるは勝次が製紙工場の女工を騙して女郎部屋に若い娘を売っていた女衒と気づき、おしんに逃げるよう諭す。はるはおしんに髪結いになる為に行く予定だった東京の髪結いの師匠の所書きと手持ちの銭を渡し、19歳の生涯を閉じる。おしんはふじの協力で家を抜け出し上京。浅草の髪結い・長谷川たかの下へ向かった。

おしんはたかの店・髪結長谷川まで来るが、姉・はるの所書きを見せても人を入れる余裕がないと言われる。おしんは店の裏手に回り、消えかけの竈火を熾し、台所や店を手伝ってみせる。おしんの働きぶりに、たかは様子を見る事にする。だが奉公人の中で一番若い下働きりつはおしんに仕事を取られ文句をつける。翌日、おしんはりつに迷惑がかかるなら諦めるとたかに申し出るが、たかはやる気があるなら何人でも置くつもりだと言う。それからおしんはりつを立て、自分は裏方に回る。髪結いは12、13歳で弟子入りし、3年下働きし、それからやっとすき手になりまた何年も奉公し、一人前になるまでに7 - 10年もかかるという。一年で一番忙しい年末年始、たかはおしんにすき手をやらせる。だが先輩奉公人のおけい、お夏は、おしんが1年も満たない内にすき手になった事が納得できず辞めると言い出す。おしんは自分が辞めるからと引き留め、ことは収まったが、たかはおしんは意気地がないと言い、以降客の髪を触らせなかった。おけい、お夏もおしんに心を閉ざしてしまう。

おしんが下働きのまま2年が経つ。大正7年(1918年)になると髪結いの主流が洋髪になりつつあった。おしんにふじから手紙が届く。おしんが加賀屋で子守をしていた小夜が肺炎で亡くなったという。おしんは久しぶりに帰郷し、加賀屋を弔問する。悲しみにくれるみのはおしんは実の娘と同じであり、ずっと加賀屋にいて欲しいと引き留めるが、くにに諭され諦める。くには東京で加代に会ったらどうか助けてやってくれとおしんに頼む。帰京したおしんは日比谷公園での米騒動を聞きつけ、浩太の姿を求めて日比谷公園に向かい検挙されてしまう。翌日、たかが身元引き受け人となり、おしんは店に戻る。たかはおしんほどの娘が2年も下働きをさせられて嫌になったのかと労うが、逮捕された事が噂になり、先輩奉公人らの風当たりも強くなる。

それから十日ほどたった夜、たかはおしんを呼び出す。たかは最近客が減ったのはおしんのせいではなく、日本髪を結う客が減ったからだと言い、おしんに将来洋髪で一本立ちすることを勧め、まず日本髪の基礎を教える。おしんは下働きの合間に他の髪結いを見学し、洋髪を独学で習得する。ある日店に神田カフェ「アテネ」の女給・染子が訪れ、洋髪を頼む。たかはおしんを呼び出し、長谷川として初めて洋髪を結わせる。染子はおしんの洋髪が気に入らず激怒して長谷川を立ち去るが、周囲から似合うと言われて上機嫌になり、おしんにあらためて髪結いを頼みにくるが、たかが長谷川では洋髪は出来ないと断り、おしん単独での出髪(出張結髪)に行くように命じる。修行中で料金を取らず腕のいいおしんは、他の女給にも髪を頼まれるようになる。さらにおしんは女給たちの恋文の代筆や着物の仕立てまでこなした。恋文の宛先はすべて田倉竜三という男だった。たかはおしんに独り立ちするよう言い渡す。

ある日、おしんは竜三から染子を介して依頼された銀座の高級カフェに出髪に行くが、アテネに出入りしていた髪結いのつると鉢合わせてしまう。つるは自分の客を奪っていくおしんに自分の縄張りを主張するが、おしんが抵抗。カフェの用心棒に出髪はつるに決っていると言われ、叩き出される。騒ぎをききつけて店から飛び出してきた竜三は用心棒を制止し、倒れたおしんをひとりの女給が介抱するが、その女給は行方不明になっていた加代だった。加代は浩太からおしんへの手紙を盗み見て横恋慕した後ろめたさからその場を逃げ出すがおしんが追いかける。加代のヒールが剥がれ落ちたところでおしんに追いつかれ再会。加代は東京に寄り付かない浩太を下宿で一人待ち続けていた。おしんは小夜の死を告げ、加賀屋に戻るよう懇願。加代は酒田に一時期のつもりで帰郷する。

おしんは髪結いとして独り立ちし、たかの店の近くの老夫婦の家に下宿する。竜三は自分が出髪を依頼したせいで迷惑をかけたとして、おしんに高価な鏡台を贈る。

加賀屋ではくにらが加代の男(浩太)からひと月も連絡がない事に見切りをつけ、家柄のいい政男を婿に決める。加代は上京しようとするが、くにが倒れる。浩太を諦めきれない加代はおしんに連絡を取り、下宿に浩太が来たら知らせて欲しいと依頼する。加代の下宿に浩太があらわれ、おしんは加代の想いを改めて浩太に伝えるが、小作争議の為に逃げ回る浩太は自分に会った事は言わないで欲しいと言う。おしんは酒田に行き浩太のことを伝えぬまま、祝言を挙げる加代の文金高島田を結う。

加代は加賀屋の跡取りになる覚悟を決め、祝言を挙げる。おしんは、りきからふじが苦労していると聞き、実家に帰る。小作の生活はあいかわらず苦しく、庄治、作造はふじに当たり散らす日々。おしんはふじの為にも再び仕送りを始める。東京に戻ったおしんは、加代の下宿で浩太を追っていた刑事に連行されてしまうが、竜三のお蔭で釈放される。佐賀から上京していた母・に見合いを勧められた竜三は、おしんと結婚したいと言い出し、清と源右衛門(源じい)は激怒。求婚されたおしんもきっぱり断る。おしんの実家の借金返済や、庄治が嫁をもらうための家を建てるため、作造は手紙でおしんにさらに仕送りを無心する。おしんは仕送りの無理が祟り過労と心臓脚気で倒れ入院する。竜三はおしんに付きっきりで看病する。清は病室に押しかけ勘当すると言い渡すが、竜三は田倉と縁を切り店も出ていくと言い返す。

退院後、仕送りが途絶えたおしんの様子を見に作造が上京する。仕送りをせびる作造に嫌気がさしたおしんは、思わず「田倉さんのところに嫁にいく」と口走る。逆上した作造は田倉羅紗に怒鳴り込み、源じいと激しく口論してしまう。作造はおしんに結婚しないよう言い含め帰郷する。翌日、おしんと竜三は互いの想いを打ち明け結婚を決める。大正10年(1921年)の春であった。二人だけの祝言を済ませ、竜三は源右衛門の理解を得るため、おしんを田倉羅紗店に同居させる。結婚に反対していた源右衛門はおしんが身につけている礼儀作法や商才、人柄、手際の良さに感服する。佐賀にいる竜三の父・大五郎が上京する。源右衛門が、おしんを褒めちぎり、竜三と一緒にしてやってほしいと書いた手紙を送られていた大五郎は、二人の結婚を認める。源右衛門は自分は用無しなので大五郎と一緒に佐賀に帰ると言うが、おしんは「私を嫌いでなかったらここにいて」と引き止め、店に留まる。

その矢先、作造危篤の報が入りおしんは帰郷する。新居に住む庄治と嫁のとらは冷ややかで、作造は古家に寝ていた。作造は死の床でおしんに感謝し、また謝罪する。おしんが祝言を挙げた事を告げると喜んで体を起こし、おしんたちと祝いの酒を飲んで息を引き取った。新居に小作争議の為に小作人が集まっていた。浩太と再会したおしんは結婚した事を告げ、自らの初恋の想いに区切りをつける。

おしんは帰路、酒田の加賀屋に作造の葬式と自身の結婚の報告に上がる。加代は浩太への未練と政男の不貞に悩んでおり、家を出たいと言うが、おしんは加代はわがままだとたしなめる。帰宅した政男は加代、みの、おしんの前で落籍した芸者のが妊娠したので産ませて認知すると宣言。泣き崩れる加代におしんは為す術が無かった。

東京に戻ったおしんは竜三と一緒にたかの下へ結婚の挨拶に行くが、戦後恐慌もあり、日本髪を結う客がめっきり減って、長谷川はたかりつだけになっていた。

試練編(第87回〜第136回)[編集]

おしん竜三夫妻の為にカフェ・アテネで結婚祝賀パーティーが開かれる。その最中、田倉羅紗店の店員が羅紗を卸している大口の洋服店が明日にも破産宣告をすると伝えにくるが、竜三も源じいも酔いつぶれ、正気なのはおしんだけであった。翌早朝、おしんは独断で卸した生地を洋服店から回収する。それは加賀屋のくにの教えであったが、竜三は激怒しておしんを張り倒す。だが直後に同業者がやって来て洋服店が破産したことを告げ、そして田倉商会がいち早く対応したことを評価した。洋服店が倒産したのは戦後不景気が遠因だが、直接の原因は竜三が洋服店に薦め、出資した縫製工場の為だった。竜三は自分の判断の甘さを恨んでふて寝してしまう。

大正10年の年末、髪結長谷川では急に日本髪の客が増えて手が足りなくなり、おしんは手伝いにいく。たかはおしんに50円(※現在の約20~30万円)の報酬を支払う。戦後不況は続き、竜三の羅紗店も経営が危なくなり、源じいは店を畳んで佐賀に帰ると口にする。おしんは髪結長谷川に駆け込み働かせてくれと懇願。たかは洋髪をやるつもりもなく店を畳もうかとも考えていたが、おしんの申し出に店の再出発を決める。おしんの持ち前の才覚で髪結長谷川は洋髪店として盛況となるが喜々として稼ぎに出るおしんに竜三は男としての面子を潰される。

竜三の努力の甲斐あって久しぶりに大口の注文が入り大量に納品したが注文は詐欺で羅紗を騙し取られてしまう。おしんは田倉のため髪結の仕事に精を出すが、深夜に酔いつぶれた竜三が女給を伴って帰ってくる。女給は高額のツケの支払いを要求するが、おしんは竜三に理解を示し、ツケを支払う。髪結長谷川は盛況でおしんとたかりつの他、新しい結い手を雇うほどになっていた。田倉羅紗店は開店休業の状態がつづき、竜三は完全に商売への意欲をなくし、おしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになる。たかは甘やかすなとおしんに言うが、おしんは竜三に尽くすため働く。ある夜、竜三が女給を連れてカフェ・アテネへくり出すが、立腹した染子が竜三を激しく叱咤、自宅に戻った竜三はおしんに対して理不尽で身勝手な鬱憤をぶちまける。おしんは自分の行いが竜三のプライドを傷つけているならと別れる気になるが、妊娠していることに気付く。たかは髪結いの亭主と別れた自分の過去を語る。女の稼ぎが男を駄目にすると聞いたおしんはその場で髪結をやめると申し出る。竜三は源じいとおしんを連れて佐賀へ帰ることを提案するが、おしんは拒否。退職したこと、子供が出来たことを伝え、東京で暮らそうと励ます。

おしんが髪結いをやめてから2か月が経ち、とうとう米一粒もなくなる。見かねたたかが訪ねて来てお金を差し出すが、おしんは、竜三にどん底から立ち直ってほしいからと断る。突然うな重の出前が届く。竜三はかつて佐賀で面倒を見た小作の伜に頭を下げて借りてきた金をおしんに渡し、生活のためならどんなことでもすると宣言、おしんを感激させる。竜三は知り合いに子供の洋服の需要が伸びてきたから、子供服の商売をしたらと勧められる。その資金の為におしんは不良在庫の羅紗を露天商で売る事を思いつくが、竜三は渋り、知り合いの洋服店で勤めに出ると言う。

だがおしんは羅紗の仕入れ値を調べ、竜三と源右衛門の留守中に一人で羅紗を持ち出し露天商で売りに出る。ところが、男衆がやってきて無許可だからと帰れと言われる。納得のいかないおしんは男衆ともみ合いになり大騒ぎに。そこに的屋の元締め・中沢健が現れて取りなす。健の説得でおしんは帰るが売上が入った袋を忘れてきたと悲嘆する。次の日、田倉羅紗店を健が訪ねてくる。腹の虫が収まらないおしんは健に食って掛かるが健は笑い、売上が入った袋をおしんに差し出す。思いがけず売上金が無事戻ったおしんは健と意気投合。健はおしんがチフスで亡くなった妹に似ていて放っておけないと言う。健の助力ですぐに許可証が降り、所場代を払って正式に露天商をする事になる。羅紗は飛ぶように売れ商売の資金確保に漕ぎ着ける。

嬉々としておしんは新しい商売の準備を始めるが、竜三は洋服店へ勤めに出ており乗り気ではなかった、しかし、おしんが子供服を一着縫い上げると目の色を変え積極的に協力するようになる。大正11年(1922年)9月、田倉商会は子供服専門店として再出発する。しかし、十日経っても一向に売れなかった。おしんは失敗と思いやめようと思ったが、呉服屋・大野屋の仕入れ担当が来て、子供服の納入の話になる。竜三の営業の成果だった。大野屋に納入した子供服が飛ぶように売れ竜三はすっかり有頂天、おしんに無断で縫い子と足踏みミシンを6台に増やし、もっと大きな作業場も建てると言い出して勤めていた洋服店も辞めてしまう。さらに裏庭に小さな作業場を建てミシンを5台増加。身重のおしんを尻目に竜三はすっかり天狗になって遊び歩く。注文は次々に入り、竜三は夜も縫い子を雇いミシンを動かすと言いだすが、おしんは製糸工場での無理が祟り早死した姉、はるの話をして、源右衛門も竜三を見かねて諌める。

おしん第一子の出産が迫り、源右衛門は竜三に山形からふじを呼び寄せるよう勧める。庄治夫妻は難産だが第一子が生まれたという。竜三と源右衛門はふじに対して誠心誠意接し、おしんはやっと親孝行が出来たと二人に感謝する。大正12年(1923年)1月。長男が産まれる。お七夜、竜三はと命名。戦争嫌いのおしんは軍人になりそうな名前だと言う。お七夜のお祝いをする。おしんはふじにそのまま田倉の家にいてもらうつもりだったが、ふじは譲らず山形に帰っていった。佐賀から大五郎が来る。大五郎は作業場を見て金を融資すると言う。竜三から融資の話を聞いておしんは心配し、万が一の事を考えおしんは大五郎に融資を辞退したいと言うが竜三は承諾した。作業場の為の土地が見つかる。酒田から出産祝いに加代が来る。縫い子の糸子が怪我をし、処遇に関して竜三とおしんは言い合いになる。加代はそれを見て本当の夫婦だと羨む。加代は加賀屋での生活に嫌気し酒田には二度と帰らない、また、東京の実家にいる浩太の消息がわかったので今度こそやり直すと言い出し浩太と会うが浩太は謝罪を繰り返すだけだった。一晩塞ぎ込んだ加代は踏ん切りをつけて酒田に戻る。

田倉商会は今までの店の儲けを総てつぎ込み借金づくめで悲願の作業場を新築する。9月1日、留守と子守りの為に源右衛門と雄は羅紗店に残り、おしんと竜三が工場の落成祝いの準備をしている正午二分前、関東大震災が田倉商会とおしん達を襲う。揺れがおさまり竜三とおしんは羅紗店の方へ向かう。店は倒壊、源右衛門の手が見える。源右衛門は身を挺して雄を庇い抱きしめて死んでいた。瓦礫から火災が発生し炎が迫る。雄を抱いた竜三は源右衛門に縋りつくおしんを遺体から引き剥がして上野公園に向かう。二日野宿し火災が落ち着いたのを聞いて店を見に行く途中、たかりつに会う。たかは工場の辺りは焼け野原になったと話す。竜三は動転し、走り出す。健も無事だった。竜三が戻ってくるが茫然自失。新築した工場は地震では全壊しなかったものの、その後の火事で全焼してしまっていた。竜三は佐賀に帰る事しか頭になくなる。だがおしんは佐賀の姑に憎まれていることもあり東京に残っていちから出直そうと竜三に進言する。ふじが加賀屋の助けを借りやってくる。ふじに説得されおしんは佐賀行きを承諾、雄を連れて佐賀へ向かった。

おしんがやっと辿り着いた田倉家の敷居は高かった。田倉家は震災を逃れた竜三、雄の無事を安堵するが、借金までした東京の商いの失敗の譴責。源右衛門の死。清はおしんさえいなければこんなことにならなかったと激しくおしんを口撃する。竜三の長兄・福太郎も仏頂面。相談なしに竜三に金を出した大五郎も田倉家の中で立場がない。おしんと竜三は物置のような一室を割り当てられる。竜三が雄のおしめを洗うと清は割って入り嫁を甘やかすなと叱責する。おしんは姑にどう気に入られるか思案する。

竜三一家無事の祝いが行われるが、おしんの分の膳が無い。おしめの事で清はおしんに小言を言う。福太郎の嫁・恒子に女は男衆が食事を済ませてから頂く、この辺の習慣だと言われる。風呂もおしんはしまい湯。おしんは家事を手伝いたいが、恒子は本家の嫁の勤め、余計なこと・とおしんの助けを拒否する。

竜三とおしんは開墾、野良仕事をする事になる。田倉家は元々大地主で竜三は畑仕事をした事がなかったのだが、大五郎の代で事業に失敗し凋落してしまっていた。おしんは洗濯の石鹸はどこかと恒子に尋ねるが、石鹸は一家ごとに別であり、買う金は清に貰うのだと言う。清はおしんに山形の実家はこれだけ娘が世話になっているのに何も送ってこないのかと嫌味、飯時には廊下のおしんがお櫃に手を伸ばしても嫌味を言い続ける。

佐賀に着いた翌日から竜三とおしんは作男耕造とその妻・佐和と開墾を始める。佐和は田舎の百姓の嫁とは思えない程の美人であった。開墾は重労働だが弁当は握り飯二つのみ。竜三は不満を口にするが耕造と佐和は小さな一本の薩摩芋を分け合っていた。米の飯は小作や作男は祭りの時のみ。耕造の家は母と小姑が三人だという。家に戻って耕造の話になると、佐和は元・島原女郎で村のつまはじき者だと清は言う。清はおしんに佐和と口を利くなと言うが、おしんはあっけらかんと女郎のどこが悪いのか、心ならずとも実家や両親、家族の為に身を売った人に罪はないと口答えした為、清は憤慨する。清が竜三に餅を差し出すと竜三はおしんの分も欲しいと言うが、清はおしんにおなごは腹が減っても自分のものまで亭主に差し出すものだと吐き捨てるのであった。

おしんは、佐和の髪が見事なので野良で一度髪を結う。耕造佐和は大変に喜んでくれるが姑の清は田倉家に泥を塗ったと憤慨する。佐和の髪を見て、田倉家におしんに髪を結ってもらえないかと人が来る。それを聞いたおしんは喜び、髪を結いに行きたいと清に承諾を得ようとするが、苗字帯刀の家柄を誇りにしている清が許すことは無かった。おしんは竜三になぜ髪結いしてはならないのかと不満と愚痴をこぼすが竜三は清の言う事を斟酌しろとおしんを諭す。竜三はおしんの立場も理解せず母・清に雑費の為にと金銭を無心するが、その度におしんは清から小言を言われる。ますます拗れ、とうとうおしん夫婦仲も険悪になっていく。わかってくれるのは佐和だけであった。耕造は佐和の身請の為に田畑を売って作男になったので佐和も家の中では針のむしろだった。

おしんは竜三に田倉家を出て町に出ようと言うが、竜三は自信がない為良い返事をしてくれない。竜三は大五郎がやっている有明海の干拓の組に入る事を思いつく。干拓事業は結果が出るまで長い年月を要する為、清は良い顔をしない。畑になるまで10年もかかると言うが、竜三は入る事になる。おしんはなんとか気に入られようと再度家事の手伝いを願い出るが叶わない。長兄の子供たちに穀潰しと囃し立てられる。福太郎も干拓事業には望みがないと言い、清からはおしんが竜三を囃し立てたと文句を言われる。干拓事業にはおしんも逡巡するが、竜三は聞き入れない。おしんは心配をかけまいとして山形や東京への手紙には辛い事は一切書かず、普段の口数すら少なくなっていった。

大正13年(1924年)の正月。たかから年賀状が届く。髪結長谷川を3月にも再会できそうだと記してあり、おしんは東京に戻ってたかの下で再び働くことを夢見るようになる。それ以来、心の中で3月までの辛抱だと呪文のように繰り返すようになっていた。おしんは再度竜三に田倉家を出るつもりはないかと問うが干拓に賭ける竜三の意思は固い。竜三とおしんは衝突し、とうとう家庭内別居をする。

おしんが源右衛門の墓前に仏花を供えいると、誰かが身投げしたという。行ってみるとそれは佐和だった。一命を取り留める。後日、おしんは佐和を訪ねると佐和は納屋で寝起きをしていた。聞くと佐和は自分が女郎であったことと、身請けの為に土地を失ったことなどで夫が姑に恨み言を言われ続け、気づいたら飛び込んでいたのだと言う。あのまま死んでいたらよかったと。佐和の身の上を気の毒に感じたおしんは佐和に一緒に東京に逃げようと誘う。おしんは彼岸の中日に発つと決め、佐和に汽車賃を渡して実行の日を待った。計画の日、竜三の次兄で陸軍大尉亀次郎が来て挨拶する。末妹・篤子もおめでたで帰郷。おしんは雑木林で汽車の時間を待つが、土壇場で佐和は身重のおしんを心配し、干拓に出ている竜三を呼び出して計画を漏らす。おしんは竜三に見つかり、東京に行くならを置いていけと言われる。雄を奪う竜三に掴みかかるおしんは振り解かれ路端の岩に身体を強打して流血、意識不明になる。

意識を取り戻したおしんは介抱する竜三を拒絶。離せと泣き叫んで抵抗するがおしんの怪我は酷く首から右肩にかけてざっくりと肉が裂けていた。竜三と佐和は荷車に載せて田之倉家に向かう。激しい出血のあとの衰弱と傷からくる発熱とで3日ほど昏睡状態になる。清から金がかかり疫病神だと罵られるが竜三は清に怪我に至った顛末を隠す。

十日経ち右手は使えないがびっこだが歩けるようになる。おしんは治療代のことで姑に嫌味を言われることが予測できたので竜三に怪我にかかった費用を手持ちの100円の中から出しておいて欲しいと伝えるが、竜三は清の気持ちが解らないのかとおしんを咎め、おしんは「実の母親なのにあなたは何もわかっていないのね」と愚痴るのであった。

篤子の帯祝いの日、おしんは床上げするが右手がしびれて思うように動かない。おはぎも握れず、小鉢も割ってしまう。竜三は怪我は首と右肩なのだから手が自由にならない筈がないと言う。清は針仕事くらいは出来るだろうと言い、おしんに縫い物を持ってくるがおしんは針が持てなかった。再び開墾に出るようになる。畑で佐和は東京に出る筈の金をおしんに返すと言うが、おしんは裏切られた恨み言と共にそれを突っぱねる。佐和は身籠ったことを竜三にだけは話した方がいいと言うがおしんはさらに激昂して佐和の進言も佐和の存在そのものも拒否した。

怪我から一月経ったが、右手は相変わらずで思うように働けない。その事で清ばかりか、竜三にも疎んじられる。見かねた大五郎はおしんを町医者に見せに行くが...。竜三が大五郎、清に呼び出され、おしんを実家に帰してはどうかと、清は竜三に離婚を迫る。おしんが佐和から貰った腹帯を竜三に見られ、妊娠が発覚。竜三は里に帰って産んだほうがいいと言うが、おしんは谷村家はもう兄の代だからと田倉家にいると言う。竜三はおしんの覚悟を知り、おしんに腹帯を締める。竜三は清におしんとは別れないと言う。

おしんが佐和と逃げ出そうとしていた事が耕造の母親から清に知らされる。佐和の小姑がおしんの渡した汽車賃を見つけ、何の金かと佐和は姑小姑に折檻されたという。再び身を売った金なのかと疑われ、おしんに貰ったと白状した。心配になっておしんが向かうと道すがら耕造がやってくる。佐和は既に逃げ出していたのである。そしてとうとう大五郎、清らにもおしんの妊娠が知らされる。

清は竜三に、一つの家にお産が二つあると、どちらかが欠く。忌み嫌うと言う。大五郎はそんな風習はただの迷信だと一蹴するが恒子も心配する。野良仕事から竜三とおしんが帰ると桶にドジョウが入っていた。佐賀では妊婦にはドジョウがいいと言われているがやはりドジョウを食べられたのは篤子だけであった。恒子は、同じ姑を持つ嫁の立場から、とうとう見かねて、おしんに山形に帰ってお産したらどうかと竜三夫妻に勧める。風習を信じる清はおしんが身二つになるまで、預かってくれる所が見つかり、行けと言うが、おしんは迷信に納得せず、清は激怒し決裂する。清は竜三に自分は一度も姑に逆らった事はなかったと泣きつく。おしん、最後の意地であった。

自立編(第137回〜第185回)[編集]

田植えの一番忙しい時期が来て、おしんは身重の体を押して田植えをするが篤子は一日中遊んではぜんざいを食べていた。同じ妊婦でありながら、おしんをこき使い、自分の娘の自堕落を許す清に憤怒する竜三をおしんは宥める。おしんは文句を言われるのは結局、私なのだからと窘めるが、(自分はおしんから)頼られていないのかと竜三はおしんを非難する。竜三は仕方なく清に何も言わなくなる。ふじから手紙が届き、おしんは枕を濡らす。ふじからおしめと産着が届く。雨の中田植えをする。カンカン照りの中草取りをする。さしものおしんも疲労困憊。洗い物をしながら居眠りしてしまう。大五郎は休ませようとするが、後を恐れ竜三はおしんの休息を許さない。

やがて、稲刈りの季節を前にして産み月になる。清はお産は不浄なので、裏の納屋代わりの離れを使うために掃除しろと言う。恒子が安産の為の魔除けの麻の葉を刺した厚地の木綿の下敷きをおしんにくれる。おしんと竜三は稲刈り。夕刻、篤子が産気づき、竜三が町の産婆を呼びに行く。夜になり離れにいたおしんも産気づくが誰も気づかない。篤子の産婆は手に負えず、医者を呼んでくれと、真夜中の雨の中竜三が行く事になる。朝までに産まれなければ赤子を堕ろして母体を助けねば双方死んでしまうという。おしんは離れから竜三を呼ぶが声が届かない。おしんは離れの入り口で倒れ、そのまま朝を迎える。篤子の方は医者が間に合い、母子とも無事。竜三がやっと離れの方へ行くとおしんが倒れており、子供は死んでいた。

気を失っていたおしんは目覚め、産んだ子を見たいと言う。竜三は切り出せないでいた。竜三は談笑する清たちに怒りをぶつける。死産だったことを竜三に代わり大五郎がおしんに真実を告げる。おしんは死んだ子にと名付けた。おしんは飲ませる子もなく乳が張る。乳汁来潮。一方篤子は乳がわずかしか出ない。清は竜三におしんに乳を分けてもらえないかと言うが、篤子は嫌がる。だが恒子はおしんの為にも・と、おしんに薦め、おしんは自分の子ではない赤子を抱き黙ってお乳をやる。清はおしんに何でも精のつくものを食べさせて欲しいと恒子に頼む。竜三はおしんを一人にした事を悔恨し、清はふたりに懴悔し頭を垂れる。篤子の子はと名付けられた。その後、怪我から遠ざけられていた雄といる事も清から許される。

やがて愛の宮参り。篤子と愛は嫁ぎ先に帰る。佐和からおしんに手紙が届く。手紙には東京に無事到着し、暮らしを立てていることが綴られていた。おしんは毅然と自分も東京に行くと竜三に言う。自分が愛を殺したのも同然であり、ここにいては何にもならない、黙って行かせて下さいと言われ竜三は返す言葉もなかった。そしておしんは大五郎と清に雄と二人で出ていくと伝える。だが清は雄は田倉の子だと譲らない。

雄を一緒に連れて行くことを諦め、荷物をまとめていたおしんに恒子が清に隠れて雄を連れ出してきてくると言う。おしんは恒子の言葉を信じ、源右衛門の墓の前で待った。恒子は清の留守を狙い雄を連れ出しておしんに手渡すことに成功する。おしんは恒子の思いがけない機転と心配りに感謝し佐賀を後にする。

おしんは、再建した髪結長谷川に身を寄せ、たかに佐賀での日々を打ち明ける。怪我で使えなくなっていた右手は殆ど治っていたが、試しにと始めたたかの髪結いの途中で熱したコテがたかの頭皮に当たってしまい、あわや大やけどをする事故を起こしてしまう。佐賀での怪我の事、その事で右手が不自由になった事を話す。佐和がおしんから借りていた金を返しに会いに来て和解。はおしんに露天商の話を持ちかける。それを聞いたたかは反対するが、手が不自由になったおしんはたか達の髪結いを見ているのが辛いので健の提案を受け入れる。健がおしんに頼まれていた借家に長屋を見つけてくる。おしんは髪結長谷川を出る事をたかに言っておらず、たかは驚き、寂しがる。どんどん焼きの屋台を始め、忙しく明け暮れる中、大正14年(1925年)1月、おしんは佐賀の竜三に手紙を出すが手紙は清が破り捨てていた。恒子は一部始終を見ていたが清に口止めされた。

健はを可愛がり、何かとおしんの為に用立てる、それを見たたかは世間の口はうるさいとおしんに忠告するがおしんは「健さんはそんな人じゃない」と気にもとめない。夜遅くがいつものようにおしんを長屋まで送り布団を敷いたところで健の女が長屋に踏み込んで愁嘆場になる。健の女は健がおしんの屋台出店の為に大変な手間と金を使ったことでおしんを責めるが健は「男は本気で惚れた女には指1本触れなくても力になりたいものだ」と啖呵を切る。おしんは健の気持ちを初めて知り辛かった。翌日、健が謝りに来るがおしんは健の親切を丁重に断って故郷山形に行くことを決意する。

山形の実家におしんが帰った頃、髪結長谷川に竜三から手紙が届く。谷村家では庄治・とら夫妻に二人目が生まれている。小作争議で小作米は4割になり、麦飯が食べれるようになっていた。庄治はおしんが田倉家を出てしばらく谷村家にいると聞かされると仏頂面。庄治は長男は家と親の面倒を見なければならない、おまけに兄妹が転がりこんできたら貧乏をついで長男くらい引き合わないものはないと文句を言い続ける。それを聞いたふじはおしんの為に庄治夫妻と所帯を別にする。とらはおしんはわがままだと夫・庄治に愚痴り、庄治は一度嫁に行ったら石にかじりついてでも辛抱するのがおなごの道だと吐き捨てるようにおしんに言い放つ。ふじはおしんが手紙に書かなかった佐賀での暮らしを聞いて、清は鬼だと言う。庄治がおしんに子守りで家にいるのか、いい身分だなと嫌味を言う、ふじは嫁・とらも同じではないかと返す。子供の泣き声。とらが雄に折檻している。とらの子・貞吉のアメを雄坊が取り上げたのだという。それを聞いた姑・ふじは嫁・とらに激怒する、庄治は嫁・とらには甘く、財布を握らせている。おしんは宥めるが、ふじは庄治夫妻に無断で米を銭に代え雄の為に菓子を買ってくる。ふじは実子・おしんには甘い。夫・庄治は納屋に南京錠をつけ、鍵を嫁・とらに。ふじは息子・庄治は尻に敷かれていると不満。嫁と姑は対立する。

おしんはりきの世話で手の足りない農家の手伝いを始める。おしんは度々、佐賀の竜三にあてて手紙を送っていたが、手紙は全て姑・清が破り捨てていた。田植えの季節になり、庄治はおしんをあてにするが、おしんは他の農家に田植えに行く約束があった。ふじは嫁・とらに田植えをさせろと息子・庄治に言う、乳飲み子を抱えても出来ない筈はない、自分はやってきたと。そこまで言われた庄治はとらに田植えの支度をしろと怒鳴る。

加賀屋のくにが倒れたと聞き、おしんは酒田へ向かった。くにの最後の床で看病し続けるおしん。くにはおしんに「加代には姉も妹もいないのでどうか頼む」と言葉を残して大往生する。別居していた政男が線香を上げに来るが加代はそっけない態度をとる。初七日。加代はりきから佐賀でのおしんの苦労と姑から受けた仕打ちを聞いており、おしんに酒田にいるように、また、加賀屋に借金をして主が夜逃げした空き家で融資もするから商売をするように勧める。清太郎みのもおしんの境遇に同情し大正14年初夏吉日、おしんは加賀屋の援助で飯屋・めし加賀屋を開店をする。開店した日に政男が仲人の下、加賀屋に戻ってくる。加賀屋は加代が取り仕切っていたが、夫を立てるために政男に任せる。

飯屋は初日まったく客がこなかったのでおしんは握り飯を作って港に売りに行く。そこでもやはり売れなかったがおしんは飯を無料で港湾作業者に渡してその日は帰った。おしんは飯屋を休業して手書きで飯屋のビラを作って配ったところ、客が来るようになり、無料で渡した握り飯のお礼も言われる。だが配ったビラに加賀屋の名前がある事で、政男は恥さらしだと言い、加代と対立してしまう。清太郎みのは何とか娘夫婦の夫婦仲を修復しようとする。しかし、飯屋が忙しい事もあり加代は加賀屋を空けおしんの店に入り浸ってしまう。だが政男はそんな加代に理解を示す。

ある日、客の1人が酒は無いのか、酒を出せと言ってきた。おしんは飲み屋ではないと断るが、加代は酒を1杯15銭で出す。飯の客よりよっぽど儲かるがおしんは店の空気が荒れると気が進まない。しかし背に腹は代えられず酒を出す事になる。政男が加代の様子を見に店に来る。雄が麻疹にかかり、店を休む。酒田に来てからも、おしんは尚も佐賀の竜三に手紙を出すが、やはり清に破り捨てられていた。

 酒を出すようになってから稼ぎは大きくなっていた。酌婦つきの店は少ない量の酒を1合として販売していた為おしんの店は評判になりますます繁盛したが、代わりに周りの店の売上が落ちていた。他店から依頼されたヤクザが突然乗り込んできて「ここは飯屋なのだから酒を売るな、他の店に迷惑だ」と暴れ始める。おしんは健より習った見事な仁義をきり、ヤクザを驚かせる。

大正14年の秋。日本農民組合の庄内支部が酒田にでき、小作の代表として浩太が、加賀屋の主、地主の代表として政男が会ったという。政男は運動をする浩太の事を、惜しい男だと話す。おしんと竜三は互いに手紙が届かず、佐賀では清が竜三に再婚を強く勧めていた。

めし加賀屋の評判を聞き、偶然、浩太がやってくる。おしんは夫と別れ、子供を一人抱えた寡婦。浩太は東京からのおしんの消息を知らなかった。加代は浩太におしんが飯屋を始めるまでの顛末を話し、自分が回り道させたおしんと浩太の縁を結ぼうとする。そして、浩太はおしんに自分は雄の父親になるつもりだ、結婚して欲しいと告げる。しかし、丁度この頃に治安維持法が制定され農民運動や労働争議が弾圧され始めた為、浩太はまた隠れて運動をしなければならなくなる。浩太は竜三の気持ちを確かめたいと佐賀へ手紙を出すが清が開封して読んでしまう。

めし加賀屋でおしん、加代、浩太が大正15年(1926年)の新春を迎えていると、りきがやって来る。谷村家のふじへ竜三から手紙が来ておしんの消息を教えて欲しいと書いてあったという。りきはおしんに手紙一本くらい出してやれと言うがおしんは既に大量の手紙を出していると説明する。浩太は何かの手違いで手紙が竜三の手にわたっていないのではないか?と疑問を投げる。

佐賀では再婚を渋る竜三に清は堪りかね、おしんは他の男と一緒になるつもりだと、浩太からの手紙を竜三に見せてしまう。竜三は自分宛の手紙をなぜ勝手に開けたかと激怒。手紙にはおしんが竜三に何度も手紙を出したと書いてあったので追及するが清はしらを切り通す。それを見た恒子は清が破り捨てていた手紙を裏張り・補強して保管しておいたものを竜三に渡し、全てが明るみになる。

竜三の手紙がとうとうおしんの下へ届く。そんな中、店の客同士があわや刃傷沙汰を起こす。酔っ払いを相手にするおしんを見かねた浩太は間違いが起きる前に、と商売代えを勧める。また、おしんの店に入り浸る加代をみのが見かねて家に戻るように諭すが加代は言う事を聞かず、みのはおしんに「(政男さんの手前)お店の手伝いに来ている加代を家に落ち着かせて欲しい」と頼む。おしんは加賀屋の若奥様、加代にこれ以上お店の手伝いをさせるわけにはいかないことも合わせて苦慮し、浩太が世話をしてくれた、伊勢で漁師をしている浩太の伯母が面倒を見てくれる魚の行商をすることを決心して店を閉め、酒田を後にする。

伊勢の網元神山ひさの下に身を寄せる。雄を乗せた箱車を押し、魚の行商人としての第一歩を踏み出す。おしんの強かな商魂が功を奏し、おしんの行商は軌道に乗る。その年の暮れ大正天皇が崩御、時代は大正から昭和に変わり、ひさの世話になって一年が経ち、浩太が会いに来る。浩太は今は農民運動も公に認められているが、小作争議の形態が変わってきており、小作が地主に小作料の引き下げを要求していたのを、地主が小作に小作料の引き上げを要求するようになり小作争議は泥沼だという。魚の行商としての信用もつき自分の店を持てるという段階になり、おしんは竜三に手紙を出す。しかし竜三から返事はない。おしんを気に入ったひさは田倉家が竜三を、亭主を置いて逃げたおしんのところへよこす筈がない、諦めろと言い、店を出す事はない、自分の下に居ろ、浩太もおしんに一人でいて欲しいのだと言う。

佐賀では竜三が考えあぐねていた。竜三は自分には甲斐性がない、おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘る。大五郎は煮え切らず、伊勢に行く気のない竜三におしんを諦めるか、おまえがおしんの下に行けと一喝。結局竜三は伊勢には行かないと手紙に書く。

竜三からの手紙にひさは呆れる。その年の夏も過ぎようという頃、ラジオで今度の嵐は大きく、九州では被害が出て、長崎や佐賀では堤防が破れたという。台風が過ぎた佐賀の田倉家では、嵐の中干拓を見に行った竜三と大五郎が濡れ鼠になって戻って来る。干拓をしていた土地は全て流されしまい、全滅した。翌朝、竜三は置き手紙をして田倉家を出る。竜三は日本は不景気で新天地満州なら仕事があると考え、下関から関釜連絡船で中国大陸に渡りその後汽車で満州大連まで行くことを決める。

竜三はおしんと雄の姿をひと目見て最後の別れをする為に伊勢に来るが、雨が降り続く長い道を行商の重い箱車に荷と雄を載せて懸命に押し続けるおしんの労苦を目の当たりにして満州行きをやめ、再びおしんと苦楽を分かち合い共に生きていくことを決意する。

夫婦が揃った事でひさの下から独り立ちし、鮮魚店・田倉魚店を出す事になる。最初魚の名前もわからない竜三は悪戦苦闘するがよく働き、御用聞きも始める。ひさは竜三が店に出る事で信用を落とし、売上が減ることを心配するが、おしんは竜三をよく立て、店の主人は竜三だと譲らない。落ち着くと、おしんは佐賀の田倉家へ手紙を書く。清は母より嫁かと涙した。

昭和4年(1929年)雄の小学校入学の晴れ姿を見せようと、おしんはふじを呼び寄せようと山形に手紙を出す。ふじは思うように働けなくなっており、庄治夫妻は冷たかった。手紙を受け取った庄治はりきに読んでもらい、口減らしが出来ると喜々とする。伊勢に来たふじは自分の体の不調を隠し、雄の入学式を見たらすぐ帰ると言う。入学式。庄治から手紙が来てふじを預かれという。やはりふじと庄治夫妻は上手くいってないと知り、おしんはふじを返さない口実を思案する。おしんに頼まれた竜三はふじにおしんが無事出産するまでついていてくれと懇願した。ふじは自分の体の事を打ち明け、ここでは自分は穀潰しだから帰ると言うが最終的には折れて伊勢に留まることになる。

お腹の子も順調に育つ中、加代から手紙が届く。加代も9ヶ月だという。おしんはこれで加賀屋も安泰だと安堵する。やつれて顔色がすぐれないふじ。昭和4年10月。おしんは無事男の子を出産するがふじが倒れる。医者が来てふじを問診、大病院で詳しく検査してもらった方がいいと言われる。男の子は(ひとし)と名付ける。ふじは白血病だった。竜三は産褥期という事もあり家族に隠す。しかしふじは床を離れられなくなる。おしんは無事に床を上げる。

死期を悟ったふじは故郷の家で死にたいとおしんに打ち明ける。ふじは不治の病だと竜三はおしんに告げる。加代から手紙があり無事出産、希望(のぞみ)と名付けたという。おしんはふじをおぶって山形に帰りたいと竜三に頼む。ひさに預け、竜三はおしんとふじを送り出す。ふじは最後に故郷の雪を見ながらその生涯を静かに閉じた。

世界恐慌が日本を襲う。おしんはりきから加賀屋が危ないという噂を聞かされていた。昭和5年(1930年昭和恐慌。おしんがふじの訃報を加賀屋に送ったところ、加代からふじの見舞いとして10円の為替が送られてきたのでおしんは事もなし・と安堵する。

雄が三学期を終えた頃、おしんが加代に送った手紙が返送されてくる。一緒におりきから加代の夫、政男が自殺したという手紙が来た。連絡を取ろうとするも加賀屋の電話番号は既に使われていなかった。ひさから急いで帰るようにとの連絡が来る。呼んだのは浩太だった。浩太は加代がおしんを頼って伊勢に来てるのではないかと考えていた。浩太が酒田を訪れたところ加賀屋が潰れ、家屋は差し押さえられ、誰もいなかったことをおしんに説明する。加賀屋の若旦那・政男は商品相場に手を出していて、3月の大暴落で支えきれなくなっての自殺だった。

おしんは加代、浩太からの連絡を待つが何の知らせもないまま昭和6年(1931年)の春を迎える。浩太がやって来ておしんに加代が見つかったと知らせる。

太平洋戦争編(第186回〜第225回)[編集]

浩太は加代の住所と100円(※現在の約20~30万円)をおしんに差し出す。翌日おしんは東京のたかを訪ねる。所書きをたかに見せると女が一人で行くところではないと言う。おしんが来たことを聞きつけたがやってくると加代がいる場末の女郎部屋まで案内してくれることになった。健が用心棒に揚げ代を払いおしんは加代の部屋へ。加代は何も聞かないで黙って帰ってくれと。おしんは浩太の100円を加代に渡す。そして清太郎、みのと一緒に伊勢に来て欲しいと話すが、加代は心配はいらないと言いながら押入れの戸を引く。そこには清太郎とみの両親の遺骨があった。寺に預ける金もない。昔勤めてたカフェーには断られ、今の店に、みのの入院費の為に500円を前借りしたという。

加代のいた女郎部屋は借金の返済が利子の増加に追いつかない底なしの泥沼のような場所だった。出るには1000円という大金が必要だという。どうすればと思案する中、おしんはせめて希望だけでも引き取れたら、と再度、女郎部屋を尋ねるが加代は過剰なアルコール摂取の為に急変・死亡していた。 骨箱と風呂敷の間におしん宛の手紙と浩太から預かってきた100円が入っていた。手紙にはおしんが来てくれたことへの謝意、一番楽しかったのはおしんと過ごした子供時代だったこと、子供の今後を依頼する内容が綴られていた。おしんは清太郎・みの・加代の骨壷と加代の忘れ形見の希望を連れ伊勢に帰る。田倉家は貧しかったが、八代家の墓を伊勢に建てること、加代の忘れ形見である希望を引き取ること、将来加賀屋再興を託したい等、竜三はおしんの気持ちを快く承諾して受け入れる。

満州事変。竜三は柳条湖事件を報じる新聞の話を雄とする。それを見ておしんは戦争はいけない事だと言うが相手にされず、竜三は雄に佐賀の葉隠の話をする。雄は戦争ごっこ、竜三はこれからは軍人の世の中だと言い、当時としては大変に高額な氷冷蔵庫と自転車を買う。

ひさが来て昨夜、浩太がひさの下に来たことをおしんに告げる。特高に付け回され疲弊した様子であり、加代・八代家の墓の場所を聞いていったという。ひさはおしんに浩太に運動を止めるように言って欲しいと哀願する。満州事変をきっかけに浩太のような運動家にはより厳しくなった、特高に捕まったら拷問されて死ぬ目に会うのだと。おしんは浩太に会う。加代の墓の場所を聞いた浩太は明日墓参りに行くと言う。おしんは浩太に加代の忘れ形見である希望を見せたいと考え、加代の墓に先回りする。おしんが浩太は来ないと思い墓から離れると浩太の姿が見えた。おしんが希望を抱きかかえて浩太に見せる、、と同時に特高が浩太を捕縛した。

田倉魚店に戻るとひさが来ていて、浩太が加代の墓参りに出た後に特高が踏み込んできたという。ひさは特高に捕まったらおしまいだと悲嘆。それ以後浩太の消息はなく、4年の歳月が流れる。  

東北大凶作の折の昭和10年(1935年)の2月。が10歳の女の子を連れ突然やって来る。女の子は山形の遠縁の小作の娘で、名は初子。健は初子を3年の年季、50円で引き取り、大阪の飛田遊郭へ奉公に出すつもりの途中で寄ったのだという。おしんは、初子の姿に自分の奉公時代を見ているようであったし、死産した愛の代わりと思い、竜三の承諾を得て健に50円を払い、初子を引き取る。

小学校に仁と希望が上がり、初子も4年生として編入させる。おしんと竜三は希望の学生鞄に八代希望と書くか、田倉希望と書くか思い悩む。竜三は希望を引き取った時に養子にして田倉の籍に入れておけばよかったと言う。初子は雄の中学受験合格を願い水垢離をする。雄は合格する。おしんは希望の学生鞄に結局八代姓を書き、覚悟を決め希望にその由縁を打ち明けて希望と八代家の墓前に向かう。

小学校で希望がもらいっ子、親なしだと言われ帰って来る。もう学校には行かないと。仁は希望を庇い喧嘩して戻ってくるが希望は家出をしてしまう。日が暮れても戻らないのでおしんが八代家の墓に行くと希望が現れる。おしんは本当の子どもと寸分変わらないのだと希望を叱咤した。

わがままを言う仁、聞き分けのいい希望。希望は初子と一緒で献身的で素直。雄は別け隔てなくよい兄。おしんは子どもたちに同じようにしてるつもりなのに、、と悩む。

おしんは第四子を身ごもる。竜三は初子の年季は3年なので、それを過ぎたら故郷へ返したらどうかと提案するが、おしんは産まれてくる子の為に初子を追い出すようなことはしたくなかった。昭和11年(1936年二・二六事件の日に女の子が産まれ、(てい)と名付ける。おしんは5人の子持ちになる。昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋事件

人の噂でひさの家に男がいると聞いたおしんが様子を見に行くと浜辺に松葉杖をついた右足が不自由な浩太がいた。おしんは浩太に話しかけるが、浩太は俯き目をそらし逃げていく。ひさに浩太のことを聞くとひさは昔の浩太は死んだのだ、今の浩太はおしんの知る浩太ではない、昔の自分を捨てて監獄から出てきたのだとおしんに話す。転向を強要され、6年間の監獄生活の間にきつい拷問にあって右足が曲がらなくなっていた。ひさにもめったに口を聞かなくなったという。特高の拷問に屈し、転向を恥じている浩太は誰にも会いたくないと膝を抱える。

おしんは浩太の事を竜三に相談するが、すべてがご時勢だと言う。変わり果てた浩太。誰も逆らえない強大な権力が日本の運命を握っている。昭和12年の暮れ日本軍が南京を占領。戦勝を祝う提灯行列。おしんも勝利を喜ぶ日本人の一人になっていた。

突然、陸軍少佐で竜三の次兄・亀次郎が田倉魚店に訪れる。雄が挨拶しに来る。竜三は亀次郎に雄を上の学校に上げる金がなく、中学を出れば十分だと言うと、亀次郎は雄に陸軍士官学校を狙うとよい、士官学校は官費で金もいらないと話す。おしんは眉をひそめる。亀次郎は竜三に、5人の子供の教育費の為にも、もっと太い商いをしろと忠言。竜三は沈痛。背に腹は代えられない。竜三は軍の納入業者になる決断をし、おしんも最後には賛同する。

竜三は軍の納入業者になるつもりで、店はもう閉めてもいいと言うが、おしんは信用が大事だと仕入れを続ける。昭和13年(1938年)が開ける。連隊への食料品を納める業者の入札が行われ、無事軍の納入業者になる。納入業者になった事で田倉魚店は閉める事になり、長い間世話になった網元・ひさからの仕入れも止める。銀行の融資を受けトラックを買い、軍に魚を納入する。店を閉めたが、おしんは手を余し、店だけでも・と、田倉魚店を再開。店で売る魚もトラックで市場から仕入れる。

昭和13年の春。国家総動員法。初子が方々から千人針を頼まれる。が初子に自分が出征する時も千人針を頼むよと言うと、初子は心配する。竜三は、雄はまだ16だ、雄が兵隊検査行くまでには戦争は終わっていると笑った。雄は学校から進路希望をするように言われ、陸軍士官学校に行くと竜三に話す。竜三は入学できればこんな名誉な事はないと賛成するが、おしんは反対し口論となる。憂国の空気に感化された雄の意志は固かったが、初子から言われて考え直し、三高の文科を志望し、ゆくゆくは京都帝大にも行きたいと希望するようになる。

昭和14年(1939年)戦争は終結するどころか拡大する一方だった。雄は無事京都の三高に合格し、家を出て京都で下宿をする。秋、ひさが漁を止めると聞き、ひさの下へ行く。石油が統制・配給になったので船が出せない、ひさは東京の息子の家に行くことになった。浩太は近くの町の大きな造酒屋の一人娘・並木香子と祝言をあげる。

竜三は連隊に魚だけではなく、練り製品も入れる話が決まり「これでやっとおしんに苦労をかけない、おしんを幸せに出来る」と上機嫌。戦争に押しつぶされる人、戦争を足がかりにのし上がる人。物資統制でどの家庭も物資不足に嘆く中、軍に関わる田倉家だけは物も食料も豊かだったがおしんの心は晴れなかった。

昭和15年(1940年)京都から雄も帰郷し全員で新春を迎える。初子は3月に高等小学校を卒業後、実母から兵隊に男手が取られ人手が足りないので帰ってきてくれと連絡があったので山形の実家に帰ると言い出したが雄はただひとり、反対する。頼むから初子を返さないでくれと両親に懇願する雄を見て、おしんも竜三も雄は初子が好きなのだと気がつく。竜三は自慢の息子・雄には初子のような小作の娘ではなく、相応しい別の嫁を探すと言い張り雄と初子の恋仲に反対するが、おしんは大賛成であった。

統制の影響で田倉魚店に行列ができるが軍に出入りしているから商売ができると嫌味を言われてしまう。竜三が帰ってきて、軍への魚を横流しして儲けていると連隊に投書があったという。竜三は怒り、とうとう鮮魚店を閉める事になる。七・七禁令

初子の高等小学校卒業の日。竜三はまた新たに工場をやると言う。軍の衣料の縫製で襦袢、袴下などの工場であった。竜三はおしんに縫製工場の監督を依頼、そして家のことは実家に戻す予定だった初子を留まらせて任せることになった。竜三の軍事関連事業も好調で、工場地帯に近いの屋敷に引っ越す。おしんは縫製工場の監督。竜三は隣組の組長になった。

昭和16年(1941年生活必需物資統制令ABCD包囲網。春、庄治が訪ねてくる。おしんが物資を時々谷村家へ送っていた。雄と同い年の庄治の息子・貞吉は高等小学校を出て15の時に陸軍少年飛行兵に志願、予科練に合格したという、おしんが霞ヶ浦海軍飛行予科練習生かと聞くと、陸軍の方だと。おしんが、そういう学校行くと、少尉になれるんでしょと言うと、庄治は陸軍士官学校をでなければ将校にはなれない、おまけに操縦士に向いてないと整備兵に回された、貧乏小作の息子はどんなに頭がよくても出世できないと。そして戦争に行く貞吉に庄治は福岡で最後の別れをしてきたところなのだと話す。翌日庄治は山形へ帰っていく。

12月8日、真珠湾攻撃。野菜が手に入らなくなりおしんは庭を畑にする。雄が帰ってきて戦争賛美する。おしんは俊作から貰った明星を雄に手渡し、戦争賛美の精神を諌める。国民服の竜三は方々で少年を兵隊に志願させるよう説得。おしんが竜三に仁や希望も志願させるつもりかと聞くと、当たり前だと言う。昭和17年(1942年米穀配給通帳。4月。雄は京都帝国大学に入学。太平洋での華々しい戦果が連日報道される。

昭和18年(1943年学徒出陣。20の雄もいよいよ招集される。雄は見つかったらただじゃすまないと明星をおしんに返す。おしんは雄に俊作の事を話す。俊作は、もしおしんが戦争に巻き込まれても、おしんだけは戦争に反対しろと言ったが、お母さんは何のためにこの本を大事にしていたのか、何もできなかったと雄の前で涙する。

雄の入隊の日、初子は雄に千人針を渡し、雄は初子に想いを伝え必ず帰ってくるから結婚しようと約束、そして初子の身体を強く抱きしめる。

昭和19年(1944年)5月。雄から30日に面会できるとの葉書が届いたが、仁も希望も初子も軍需工場に動員されていた。竜三はこの非常時に休むわけにはいかないと言うが、おしんは竜三には内緒で初子だけは連れて行く。面会。前日にこしらえた雄の好物のおはぎをふるまう。雄は同期の川村清一にもおはぎを分け与え面会を終える。7月。サイパン陥落。竜三はいよいよ本土爆撃、空襲が始まる、禎を疎開させた方がいいと言うと、おしんはアメリカが日本まで飛んできて爆弾落とすなんて、取り越し苦労だと返す。9月。雄から葉書が届く。雄の行方を知りたいおしんは亀次郎に手紙を出す。亀次郎はおしんの母親としての情愛を慮り、軍の機密が絶対秘匿である原則を破って雄が博多から輸送船に乗り南方に派遣されたことをおしんに伝える。また、いつ本土空襲を受けても不思議ではないと言う。おしんは禎を疎開させる。特攻隊のニュースに刺激され、仁が志願すると言い出し家を出て行ってしまう。11月末。東京大空襲

昭和20年(1945年)春。禎が疎開先から抜け出し、無賃乗車で帰ってくる。禎は疎開先で粗末に扱われていた。つらい思いをしてるのは禎一人じゃないと、翌日竜三は疎開先に返す。7月、灯火管制の中、空襲、竜三の工場は焼夷。家はなんとか守り一夜が開け、雄の戦死公報が届くが、おしんは信じない。竜三は雄の写真に詫びと覚悟を語る。8月、広島、長崎に原爆投下。夜、電灯がつかず蝋燭の明かりの下、竜三とおしんは久しぶりに静かに語り合う。竜三はおしんに「私の人生で最も幸せだったのはおしんに会って結婚できたことだ」と告白する。正午、玉音放送十五年戦争終結。だが、田倉家には仁からいよいよ出撃しますとの手紙が届いていた。

竜三は背広を来て出かけるがその日、帰宅しなかった。翌日竜三から手紙が届く。手紙には「雄や仁を殺した父親として、また近隣の子息を志願させ、戦争に協力した罪はせめて私の命をかけて許しを請うしかないと思っています。私にとって死を選ぶことは戦争に協力した人間として当然受けなければならない報いです」と記されていた。おしんが竜三を探しに家を出ると村役場の人間がやってきた。竜三は山の中で正座自刃。清と亀次郎が連絡を受けてやってくる。清は遺骨の前で竜三を弱虫だと責めるが、おしんは職業軍人でありながら生きながらえている竜三の兄・亀次郎を前に「(責任をとって死を選んだ)竜三は立派でした」と言い切る。

28日。連合軍先遣隊厚木到着。居間で人が寝ている。仁が帰ってきた。仁は戦争が終わったと言われ何日も書類の焼却などの後始末をしていた。混乱の中、占領軍が来る前に出て行けと追い出されたと。物資が不足する中、仁は希望を連れてヤミ屋をやりだす。禎が帰ってくる。9月。全国で学校が再開され始め、おしんは仁、希望に学校に行けと言う。仁は反発するが、折れ、ヤミ屋はおしんと初子の仕事になる。

家に元の持ち主だという引揚者が来る。空き家になるので軍に貸したが、帰ってきたらすぐ明け渡す約束だった、出て行けと言う。悶着。決め手もなく、結局一つ屋根の下で二組の家族の生活が始まる。仁は連中を追い出さないならこっちが出ていこうと言うが、おしんは雄はこの家に帰ってくると返す。おしん一家はヤミ屋、引揚一家は米兵に媚びを売る。戦時国債も紙切れになり金もなく、おしんは庄治を頼ろうと山形へ向かう。

GHQ主導によって農地改革が断行される事になり、実家の庄治夫妻は小作から土地持ち農家になると大はしゃぎの最中だった。おしんは戦中、何もかも不足していた時に庄治家族宛に何度と無く物資を送っていたこともあって頼ってみたのだが、今度長男貞吉が嫁をもらい、新居を建てるつもりだからとおしんに対してけんもほろろだった。8つの時に植えた杉苗は切り出せるまでになっていたがおしんは山形を去るしか無かった。

川村復員して田倉を訪ねてくる。おしんは雄の消息を聞けると思い嬉々として家の中に招こうとするが川村はおもむろに直立不動をとり「田倉候補生の遺品をお届けにあがりました」と敬礼。初子はその場で卒倒気絶し、おしんは呆然と立ち尽くす。ルソン島で戦死したと、雄の日記を差し出す。マラリアにかかり、餓死したことがふたりに伝えられる。

すっかり気を落とした初子におしんは雄の事を思い出すからと(田舎の)山形に帰ってはどうかと話すと翌日、初子はいなくなっていた。置き手紙には只、暇を貰うとある。ひさがやってくる。東京から伊勢に帰ってきて、また漁をやるという。ひさは事情を知り、おしん一家はひさの家に身を寄せる事になる。引っ越しの日、初子から手紙が、金が同封されている。また送ると書かれてある。消印は東京。津を後にする。

夫と息子を失ったおしんは再び、伊勢に戻ってきた。浩太が訪ねてくるがアメリカの命令で農地改革がいとも簡単に実現した事、軍国主義の世の中の雰囲気が敗戦によって平和に一瞬にして転じたことに対し「自分が青春を犠牲にして闘ってきたものは一体何だったのか」と虚しさを口にする。

再起編(第226回〜第261回)[編集]

終戦から4年後の昭和25年(1950年)の春、ひさの下から再び独立し、おしん一家は田倉商店を開店する。オート三輪での行商。仁も希望も、進学せずおしんを手伝っていた。浩太も自分の店・並木食料品店を新たに建て直す。地主も小作もなくなり、運動をしてた頃の浩太の面影はない。初子が家を出てから毎月おしんの下に送金があり、消印が東京だった事から、おしんは東京の健に初子の捜索を頼んでいた。そして健から速達、おしんは東京へ向かう。懐かしい長谷川たかとの再会。健と共に初子の元へ行くが、初子はパンパン・ガールをしていた...初子はおしんの説得を聞き入れて共に伊勢に帰る。

希望が陶工になりたいと言い出す。加賀屋再興が希望の使命であり義務だと信じていたおしんは難色を示すが希望は窯元に弟子入りをし、家を出る。仁も展望の持てない魚屋に見切りをつけ、予科練時代の知り合いを頼り東京の百貨店に就職する。しかし、仁は学歴のなさから望ましい部署へは配属できず、配送へ回される。おしんが仁に手紙を出すが受取人不明で返送されてくる。電話をすると仁は百貨店を辞め行方不明。

昭和26年(1951年)の新春。川村が線香を上げに現れる。ペニシリンのヤミやメチルアルコールを売って儲けた金をさらに株に投資し成功し、今は小さな貿易会社もやっているという。そして初子へ求婚する。初子は川村の事をよく知らないと拒絶。三が日を過ぎ初荷の日、川村が再び訪ねて来る。周辺を調べ、立地のいい駅前の地所を見つけ、それを買い、おしんの商売の為にに土地を貸してもいいと言う。また後日、川村が名古屋に寄るついで現れ、初子は自分が東京で身体を売っていた過去を川村に話すが川村は一顧だにせず初子への愛情を貫く。

名古屋から女が訪ねてきて、仁を引き取れと言われる。仁はヒモになっていた。おしんは放置するが、初子は女と名古屋へ。仁は踏ん切り帰ってくる。だがこのまま同じ土地で店をしてても伸び代がない。初子は川村に会い、仁やおしんの為に土地を貸す事を希望、そして川村に結婚してもいいと伝える。だが川村は初子との結婚を条件にはせず、雄の為と無条件で土地を譲渡すると話す。その後、おしんらが新聞を見ると川村殺害の記事が載っていた。川村は高利貸しもやっており怨恨で殺害されていた。入れ替わりに駅前の土地のおしん名義の譲渡契約書と登記の写しが届く。おしんは身寄りのない川村の遺体を引き取り雄と同じ墓地に葬り、そして川村が遺してくれた駅前の土地に新たに田倉商店を開店する。

昭和30年(1955年)仁は新たに店に奉公に来た百合と男女の仲になりながら、別に知り合った衣料品で成功した父を持つ道子と結婚すると宣言しおしんは激怒する。百合は仁を庇い、家を出る、そして希望の窯元で働くようになる。希望は事情を知り、自分に任せてほしいと話す。希望は百合に気持ちを聞く。おしんは道子との結婚を認める事になる。田倉商店で両家初顔合わせ。おしんは道子にも、その父・川部仙造にも不服。おしんは、意地を張り、仁と仙造が進めてきたセルフサービススーパー開店の計画を蹴り、浩太を保証人とし、自力でセルフサービスのスーパーを始めようとする。 おしんは近頃は嫁を貰う方が嫁の実家にペコペコしなければならないとぼやく。道子は最初田倉商店で同居するのを拒むが、おしんは譲らず、道子を呼び出し同居しないなら嫁に来なくてよいとピシャリ。仁は道子を諦めると言い出すが、仙造はおしんの言い分に理解を示し同居する事になる。結婚式前日、家族が帰ってくる。禎は、私は絶対姑のいる所へは嫁には行かないと言う。新婚旅行を終える。半日も経たずに道子は実家に逃げ帰る。そんな嫁に振り回される息子が悔しく腹立たしい。仁が道子を連れ戻そうと川部家へ向かうとすれ違いに仙造に連れられ道子が帰ってくる。今度は道子が別れると言い出す。おしんは仁が好きならばと、何も言わない事を条件に慰留にかかる。

昭和31年(1956年)希望が師匠に認められ、百合と簡素な披露宴。姑が嫁に文句を言うと夫に返ってくる。3月。スーパー開店にあたって、仁は少年航空時代の後輩でアメリカでスーパーの店員経験のある崎田辰則を呼び寄せ、禎も名古屋から開店セールの手伝いの為に帰省させられる。また間もなく道子が妊娠するが、仁が川部家に連絡し開店の手伝いも放おって出産まで実家に帰ってしまう。開店前夜、禎が名古屋にいる情人と電話。15日、セルフサービスのスーパーとして新装開店。三日間の開店安売りサービスを手伝う禎。利益を顧みなかった金額設定に商店街の他店の人間から文句が出るがそれがおしんの商売根性に火をつける。 閉店時間を会社帰りの人に合わせ延長し自分たちの作った惣菜を販売することに決める。懸命に働く姿そして商売の大変さ その利益が自分の学費の1ヶ月分にも満たないことを三日間の手伝いで実感した禎は母おしんの働きをみて涙して名古屋へ帰るのを延長する。商売の面白さと働きぶりはおしんと初を感心させる。辰則と禎の働きを見て、仁は店の為に禎と辰則を結婚させようと言い出す。

完結編(第262回〜第297回)[編集]

仁は禎に辰則にも話をしないうちに辰則と結婚する気はないかと聞き、おしんは仁の横暴ぶりにあきれる。禎は辰則が田倉に必要な人間と認めつつそんな関係にはなりたくないと名古屋に黙って逃げ帰る。おしんは銀行のローンの返済にいっぱいいっぱいで 少しでも学費の足しになるようお惣菜の幅を広げようと提案する。以前万引きをした子供の親は子供が泥棒呼ばわりされたと怒鳴り込んでくる。PTAでは田倉商店での不買運動すると脅す。仁のおしんの商売の仕方の違いが浮き彫りになるが辰則はおしんの惣菜拡大の提案に乗る。 禎におしんからの仕送りの手紙。禎の男は金策に走っているといいながら欠食児童なんだと金の無心する。甲斐性のない禎の男、透は禎に男女の関係を迫るが拒否してある金全てを渡して別れる。自分の部屋に届いたおしんからの小包を見て 実家のおしんの苦労と仕事をする姿を思い出す。禎は大学を中退し帰って早速店の手伝いをし始める。 おしん達は大学へ戻るよう説得するが人の気持ちは変わる。みんなと力を合わせて行きたい。働くのが好き 働いている人が好き。 辰則と結婚してもいいと禎。 辰則はおしんの働きを見て、昔の女性はよく働いた、空襲で亡くなった母もそうだった。生きていたら親孝行できたのにと話す。...禎も辰則の優しさ勤勉さにふれ恋心を抱く。辰則には親がいないから姑小姑問題もなくおしんのそばに居られると説得。禎は翌朝に辰則に逆プロポーズ。辰則は禎の将来を思って断り仕事を辞めると言い出した。禎は辰則への本音を家族の前で告白。おしんは2人の気持ちをくんで2人の仲を許す。辰則と禎は結婚する事になる。 仁の子、おしんの初孫の命名にあたって、おしんは仁に亡き竜三の「竜」を取るように伝えるが剛と命名される。日本は長い苦難の時代を乗り越え高度経済成長が始まろうとしていた。

昭和42年(1967年)スーパーたのくらは開店の時の借金も完済し、大店舗に。仁夫妻とおしんは別居している。希望は展覧会で特選を取り、窯元から独立できる段階になる。仁はおしんに反対されてきたチェーン店を出したいと言い、おしんは希望に窯を持たせ独立させる事を条件にする。仁は2号店の為に、おしんが知り合いに、温情で借金の担保に取っている土地と店を無断で巻き上げ、トラブルになる。支店の為の借金は田倉が所有する店と土地を抵当に入れても足りないほどで、おしんは希望の独立の為に浩太を頼る。2号店・3号店の建設と希望の窯、住居の工事が進められる。

希望一家の引っ越しの前夜、百合が交通事故で急死する。おしんと初子は、残されたの面倒をみる事になる。おしんは百合は仁を許してないと、仁夫妻に百合の葬儀に出席しないよう突っぱねてしまい、その事がきっかけで道子に百合と仁の過去の関係が明るみになってしまう。道子は子供を連れ実家に帰ってしまう。おしんは責任を感じ、川部家へ行く。悶着するが仙造が間に入り、おしんも道子に哀願し道子は帰ってくる。しかし、夫婦間の火種になってしまう。仁の浮気が持ち上がり、道子がおしんの下へやってくる。仁はおしんに百合と結婚しなかった事の後悔を吐露する。圭は初子に懐き、おしんは、圭の面倒も考え希望の後添えに初子を望むが...。

剛が非行に走り、その件で、仁夫婦はおしんに同居を願い出、初子も同居させると言う。おしんは、おしん亡き後を憂慮し初子を独立、店を持たせようと毛糸手芸店を始める事を決めるが、辰則は出店にかかる資金に渋い顔をする。仁は初子が戦後、身を売って田之倉に送金をしていたことを知っており、初子を援助することは当然のことだと辰則を説得、おしんは仁の初子への思いやりに涙した。仁夫婦は新しい家を建て、おしんと同居を始めるが道子はおしんの世話で初子を当てにしていたことで目論見が外れる。

そんな中、兄嫁とらが山形から嫁に追い出されたと、おしんの下へやってくる。とらはかつてふじとの嫁姑関係での苦悩を吐露し、おしんは今は同じ姑の立場に思うところがありしばらく置いてやる事にする。庄治が後を追ってやって来るが、息子貞吉夫妻は果樹園を抵当に入れ出ていってしまったという。とらは子供に捨てられた事に恨み言を言いながら庄治夫妻は帰っていく。

昭和57年(1982年)スーパー田倉は16号店まで、店を増やしていた。仁が社長、おしんが副社長になっている。おしんの81歳の誕生日の日に、仁は17号店の出店を発表する。しかし、出店予定地を見ておしんは反対する。浩太の並木食料品店が影響を受ける場所だったのだ。しかし、仁は聞く耳を持たず、出店を進めてしまう。おしんはやりきれず浩太を尋ねる。昭和58年(1983年)17号店開店の前日、浩太が大事な話があるとおしんを尋ね、浩太の息子・宗男が、スーパー田倉17号店より駅前に近く有利な土地を、田倉とは別の大手スーパーに売るつもりであるという。もし土地が売却されればスーパー田倉は当然苦境に立たされるが、おしんはスーパー田倉が倒産しても構わないと達観しており、土地は大手スーパーに。夜、前祝い。仁の長女・あかねの縁談の相手が田倉家に来ていた。そして開店の日、おしんは、出奔する(288話終盤)。山形、東京、佐賀、伊勢と圭と一月ほど周り、旅から戻ってくる。圭は全てを知る。

何もかも終わっているだろうと帰るとまだ並木家は大手スーパーに土地を売却してはいなかった。スーパー田倉の危機の噂が出ており、あかねの縁談が破談になっていた。スーパー田倉は苦境に立たされていた。仁はおしんに並木に大手スーパーに土地を売却しないように頼んでほしいと話す。おしんは浩太の下に向かう。土地の一部が浩太の名義で売却されていなかったのだ。浩太はおしんにもう一度気持ちを確かめたいと言い、おしんは改めて土地を売却してもよいと伝える。浩太は決断する。大手スーパーが開店しスーパー田倉はたちまち苦境に追い込まれてしまう。道子は離婚を希望し、仁は同意していたが、おしんに窘められる。初子と希望が道子の下へやってきてそれぞれの家や店の権利書を差し出し離婚を思いとどまるように懇願する。あかねとみどりが道子ではなく、仁の下に残ると言い出す。仁は道子と話す。道子も苦境をお互いに乗り越える決意になり、おしんは安心する。家は抵当に入っている。引っ越しの当日、突然浩太がやってきて、仁に、17号店を大手スーパーが肩代わり(買収)する話を進めていると言い、仁は受け入れる。スーパー田倉は負債を抱えることもなく、残った16店で、再出発する事になる。最後は、おしん、仁、初子、禎に希望と圭の墓参り、そしておしんと浩太が海岸を歩きながら語り合っているところに散歩の女性(ナレーター:奈良岡朋子)が通りかかり「お幸せそうですね、いつまでもお元気で」と話しかけて幕は閉じる。

キャスト[編集]

主人公[編集]

オープニングの登場者名としては名字はなく全放送を通して、そのまま、「おしん」と画面に表示される。

谷村 しん(少女期) / 演 - 小林綾子
第1部ヒロイン。
1901年明治34年)生とされている。利発で心の優しい少女。家の貧しさと口減らしのため7歳で奉公に出される。
しかし奉公先の厳しさに耐えかね、抜け出し遭難しかけた所を脱走兵・俊作に助けてもらい様々なことを教わる。
その後、酒田の米問屋「加賀屋」に奉公に出ることになり、当家の跡取り娘・八代加代のかけがえの無い友情と、大奥様・くにの教えを一身に受け、立派に成長していく。
谷村 しん→田倉 しん(青春〜成年期) / 演 - 田中裕子
第2部ヒロイン。
16歳になったおしんは、くにの薦めで結婚することとなったが、農民運動を指導する浩太と出会い、一目惚れする。
そして、縁談は相手への強い嫌悪によって破談し、責任を感じたおしんは加賀屋を出ることになってしまった。家に戻ったおしんは、死んだ姉・はるの夢であった髪結いの見習いとなるため上京し「長谷川」の女主人・たかの下で、洋髪を主とした天才的な髪結いとして活躍することとなる。
そして、ふとしたきっかけで羅紗問屋「田倉商店」の主人・田倉竜三と出会い、親の反対を押し切って結婚。商売にも類稀な才能を発揮し、子供服の製造業で工場を構えるまでになったが、関東大震災で全てを失う。
後に竜三の故郷佐賀に移るが、姑の清の辛い仕打ちを受け、遂には死産を経験してしまう。心身ともに疲れ、耐えかねたおしんは佐賀を出る決心をし、雄を連れながらも持ち前の度胸と順応の速さにより新しく仕事を覚えては、その土地ごとで生活するようになる。
東京で露店商、酒田では食堂兼飲み屋、そして浩太の紹介で三重で魚の行商をはじめることになる。
田倉 しん(中年〜老年期) / 演 - 乙羽信子
第3部ヒロイン。
戦争で夫・竜三と長男・雄やすべての財産を失うが、魚の行商で一からやり直す。
次男の仁ら残された家族の支えもあり再び自分の店を構えるまでに立ち直るが、商売のことや子供たちの結婚など苦労は絶えず、子供たちを諭そうとしても「もう時代が変わったのだ」と言いくるめられてしまうこともしばしば。
自らの商売方針を堅持していたが、仁が持ち込んできた新しい商売をめぐり、大きな決断を下す…。
第1部・第2部は、老境に差し掛かったおしんがそれまでの半生を振り返り、義理の孫となる圭とともに思い出の土地を巡る旅をしつつ、圭に当時の出来事を語り次ぐという形式で描かれており、ストーリー全体の狂言回しの役割も果たしている。

谷村家[編集]

谷村 ふじ / 演 - 泉ピン子
おしんの母。貧しい小作農家に嫁いできた働き者。普段から家の炊事洗濯から朝から夕方まで田畑を耕す小作人の仕事をしていた。家族想いな性格で、何かとおしんを気にかける。
おしんに代わって銀山温泉に出稼ぎに行き、酌婦として働いたこともあった。この姿でおしんに再会したときは「(家族に)顔向けできないようなことはしていない」と言い聞かせた[注 1]
現代のパートにおいておしんの部屋に置かれている古いこけしは、おしんが酒田の加賀屋に奉公する前に銀山の宿で働くふじを訪ねて去る際に、母からもらった大事な物である。
谷村 作造(さくぞう) / 演 - 伊東四朗
おしんの父。貧しい小作農家で働き者。厳しい性格だが、貧しい大家族を養うために辛い気持ちを人前では見せない。
しかし、7歳のおしんを奉公に出す際は川岸でおしんが乗る船を心配のあまり追いかけていくなど、根は悪い人ではない[注 2]。が、その後も、表向きは常におしんに対しては冷たい批判的な態度をとり続け、おしんが最初の奉公先から逃げ出した際も心配することも無く、母親のふじが探しに行こうとすると叱責して阻む。また、おしんが無事に帰って来た時は、頬を叩きつけ怒るが、小屋のわらの中で眠っているおしんをなでたりもする。しかし、俊作と一緒にいたことを「国賊の脱走兵と一緒にいた」として、激高しおしんを殴りつけ、出血して倒れ気絶させた。小作農に疲弊しており、おしんが帰ってきて間もなくブラジルへの一家そろっての移民を考えるが、なかが体の自由がきかないことを理由に、おしんやふじ達に反対され断念する。おしんの結婚祝いの杯を交わしたその夜、肝硬変で死去。
谷村 なか / 演 - 大路三千緒
おしんの祖母。働き者で、布を織ってわずかな現金収入を得ていたが、おしんが物心つく頃にはリウマチで手足が不自由になっており、かろうじて子守りやご飯の支度ができる程度の体になっていた。
初めての奉公へと旅立つおしんに50銭銀貨を与えるなど、孫の事をいつも気遣っていた、心優しい老女。
故におしんも家を思うたびに祖母の事を気遣っていたが、ふじが出稼ぎから帰ってきたあと危篤に陥り、急遽帰郷できたおしんと再会し、おしんが作ったおかゆを食べてこの世を去った。
家族のためだけに働いて死んでいった祖母の辛い生き様はその後のおしんの人生感に影響を与える。
谷村 庄治(しょうじ) / 演 - 佐野大輔→吉岡祐一
おしんの兄。成人してからは小作の長男として生まれてきたことを憾んで酒におぼれたこともあった。とらと結婚してからは、両親を古い家に住まわせて、おしんの仕送りで建てた新居で別居する。
おしんが圭と一緒に実家の墓参りをする時の会話から、現在は亡くなっていることがわかる。
谷村 とら / 演 - 渡辺えり子(現:渡辺えり
庄治の妻。庄治と自分の子供たちとは普通の妻、母親として接するが姑のふじや時折実家に帰ってくるおしんのことは、口やかましいと思っており冷たい態度を取る。
昭和43年、突如として伊勢のおしんの元に家出して来る。理由は嫁と息子から邪険にされたことであった。しばらく滞在した後、迎えに来た庄治とともに帰って行った。
谷村 はる / 演 - 仙道敦子千野弘美
おしんの長姉。貧しい家計を支えるため奉公に出ている。年季が明けて帰宅したとき、脱走事件をおこしたおしんが読み書きできるのに感心し、奉公先から餞別にもらった銭を石盤と石筆を買う代金として与える。その後製糸工場で働くが、過酷な労働環境により肺結核で死亡。髪結になる夢をおしんに託す。享年19。
谷村 みつ / 演 - 長谷川真由美→古坂るみ子
おしんの次姉。奉公に出ている。作造が危篤の時は、正助・こうと実家に戻り、おしんと一緒に父親を看取った。
谷村 正助 / 演 - 住吉真沙樹→小林徹也
おしんの弟。
谷村 こう / 演 - 片桐尚美→鍵本景子
おしんの妹。
谷村 すみ / 演 - 柳美帆
おしんの妹で谷村家の末娘。おしんが奉公に出る切っ掛けとなった。その後貧しさのため母ふじが銀山温泉へ働きに出ることになり、養育出来なくなり乳飲み子のうちに他家へ貰われていった。

加賀屋(八代家)[編集]

八代 加代(やしろ かよ) / 演 - 志喜屋文(少女期)→東てる美
おしんの二度目の奉公先である酒田米問屋・加賀屋の長女。おしんとは同い年で、わがままで気が強く両親など周辺から甘やかされていた大店のお嬢様であり、奉公入り当初はおしんの事を気に入らずに嫌っていたが、ふとした喧嘩や命を助けてもらった事で改心してからは、実の姉妹のように仲良くなった。
青春期は画家になることにあこがれて加賀屋を継ぐことを拒否。大正デモクラシーの風潮の中、社会主義に理想を抱き、偶然出会った社会主義者の高倉浩太に恋心を浮かべて、浩太を追って加賀屋から出奔。東京でしばらく浩太と同棲していたが、浩太はすぐに加代の元を離れていった。
再会したおしんから妹の小夜の死を知り、酒田に帰郷する。あくまでも一時的な帰郷のつもりで、その後も浩太を思って家出しようとしたが、くにが倒れた事態と浩太から連絡がなかった(偶然、おしんは浩太と再会できたが、彼から口止めされていた)ために断念する。
大卒の政男と結婚してからは彼のやり方に不満を抱き、女一人で加賀屋を引っ張っていく。おしんが佐賀から家出してきて、くにの臨終を看取った後、事情を受け取り、酒田で加賀屋が保有していた空家をおしんに譲って、食堂兼飲み屋に仕立て上げた。そこでの業務には加代も大いに手伝った。
だが、おしんが伊勢に移った後に政男が自殺。政男が生前手を出していた商品相場で多額の借金を抱えていたため加賀屋は破産。凋落の末、東京の女郎屋へ身を落としてしまう。両親も相次いで死去。
おしん(と浩太)は加代の生活を救おうと、女郎屋に金銭(100円)を渡そうとしたが、借金は利子も含めて雪だるま式に増えて1000円にもなっており、果たせなかった。おしんと会った日の夜、飲酒から成る胃病のため喀血し、血がのどに詰まって窒息。昭和6年(1931年)に果てる。一人息子の希望はおしんがひきとり、遺骨はおしんが伊勢に建てたお墓に両親とともに納められた[注 3]
加代と浩太の関係を巡っておしんがせざるを得なかった行為は、おしんの胸の内に一生残る、深い心の傷にもなってしまう。
八代 政男 / 演 - 森篤夫
加代の夫。加賀屋の婿養子で八代希望の実父。東京帝国大学卒。
婿養子であることを引け目に感じ、また加代が自分を好きでもない事も察しており、外に出て女を作って子供を産ませるなど放蕩三昧の生活を送る。そのため、夫婦仲は悪化した。くにの死後、仲人を介して詫びを入れ、加賀屋に戻る。加賀屋に戻ってからは加代を立て、おしんの店を手伝うのも認めていた。
昭和恐慌で米問屋の経営、株取引などうまく行かず商品先物の取り引きでも失敗し、加賀屋の破産の責任を取り昭和5年(1930年)春に自殺した。
八代 くに / 演 - 長岡輝子
加代の祖母。加賀屋の「大奥様」。おしんの理解者。広い心で、幼いが向学心のあるおしんを見守る。
おしんの奉公人としての働きぶりや簡単な読み書きができ、向学心があることを知って、信頼を置くようになり、加代と一緒に勉強を教え、帳簿の見方や花嫁修業としてお茶や生け花も身につけさせ、おしんがこれから生活していく術を教えてくれた大恩人でもある。
加代の家出の件では心を痛め、加代が帰郷直後に再度家出しようとした時に心臓病で倒れる。おしんが佐賀から家出して山形の実家に帰った頃は危篤に陥っており、駆けつけたおしんに加代のことを頼んだ(その際、死んだふりをする茶目っ気も見せた)翌朝、76年の生涯を閉じた。
八代 みの / 演 - 小林千登勢
加代の母。当初、おしんにも優しかったが、娘の加代と奉公人のおしんに対するくにの考えにズレが生じ一時冷たくなる。
しかし、おしんが加代の命を助けたことで改心し、実の娘のように愛情を持って接するようになる。
加賀屋凋落後、3か月入院した後、東京で死亡。上述の理由で加代は死目にあえなかった。
八代 清太郎(せいたろう) / 演 - 石田太郎
加代の父。母親であり加賀屋の経営を取り仕切っているくにには頭が下がる若干頼りない性格。
しかし、娘の加代のことになると強気に。上記のみのと同じく途中からおしんを優しく接するようになる。
加賀屋凋落後、心労がたたり東京で脳卒中で死亡する。
八代 小夜(さよ) / 演 - 宮城望(乳児期)→大塚ちか
おしんが子守をした加代の妹。おしんが加賀屋を去った2年後に肺炎で亡くなる。
番頭 / 演 - 小野泰次郎
加賀屋の番頭
きく / 演 - 吉宮君子、うめ / 演 - 佐藤仁美
加賀屋の奉公人。おしんの少女編に登場する先輩たち。
さく / 演 - 今野博美、たま / 演 - 井沢明子
加賀屋の奉公人。おしんの青春編に登場する。

田倉家(佐賀)[編集]

おしんの夫と義理の家族。

田倉 竜三(りゅうぞう) / 演 - 並樹史朗
おしんの夫。明治28年(1895年)生まれ。佐賀の旧家の三男。跡継ぎではないため独立し、東京で羅紗問屋を開業していた。
髪結いのおしんの評判を聞きつけ、つきあいのあるカフェの女給のために彼女を呼び寄せたのがきっかけでおしんと知り合った。加代とも面識があり、帰郷した加代との連絡を取り持つうちにおしんに興味を抱き、やがて結婚に至る。
苦労しらずのお坊ちゃんだが、おしんや育ての親である源右衛門のことを誰よりも大切に思っている。
また、おしんが髪結いや商売を営むことに反対しがちだが、次第にその力を認め、共に事業の拡大に全力を注ぐ。
しかし関東大震災により事業財産の全てを失ってしまい、おしんと長男の雄を連れ佐賀の実家に戻る。
おしんが雄を連れて佐賀を離れた後も親子3人で暮らすため干拓事業に精を出していたが事業は台風によって失敗し、今度は満州開拓に乗り出そうとするが、別れのために訪れた伊勢で魚の行商をしていたおしんと再会し翻意する。
夫婦共に伊勢で働くことを決心し、店を構え一家を養えるまでになる。戦時下には軍の仕事を引き受け羽振りが良く、戦争を嫌うおしんに対し積極的に戦争協力を行う。敗戦後、戦争への協力、また自身の息子や隣組の若者達を戦争に送り戦死させた事を悔やみ、おしんと家族の事を思いながらも自決する。
田倉 清(きよ) / 演 - 高森和子
おしんの姑。神経質かつ昔気質の性格で、小作の娘ということからおしんと竜三の結婚に反対しており、佐賀ではおしんに辛く当たる。
働き者のおしんに対し、「家のことは、恒子(長兄の嫁)の仕事だから」と言い、髪結いをしたことがあったが「田倉家の恥だ!」として辞めさせ、おしんを嫁として認めなかった。
それでも、おしんが死産した時はさすがにやりすぎたと反省し、一時的に和解するがおしんの家出で破綻。おしんからの手紙も破り捨て竜三たちにも見せなかった[注 4]
だが竜三が伊勢でおしんと共に魚の行商をし始めたころから、息子がいかにおしんを妻として慕っているかを考えて、その仲を認めるようになる。
竜三の自殺後に伊勢のおしんを訪ね、再び和解する。そして、竜三の骨の一部を持って佐賀に帰っていった。
田倉 大五郎(だいごろう) / 演 - 北村和夫(当初の予定では、佐藤英夫
おしんの舅。源右衛門とは共に育った間で、その源右衛門のとりなしもあって結婚には賛成していた。おしんに辛く当たる清をたびたび宥めるが自分の事業の失敗のこともあり立場はあまりよくなかった。
なお、おしんが初子を迎えに東京を訪ねて来た頃には大五郎も清も既にこの世の人ではないことが、たか、健とおしんの会話で分かる。
田倉 福太郎(ふくたろう) / 演 - 北村総一朗
竜三の長兄。家庭内の揉め事には「見ざる、言わざる、聞かざる」の態度を取る、いわゆる事なかれ主義者。
田倉 恒子(つねこ) / 演 - 観世葉子
福太郎の妻。長兄の嫁と言えども清の厳しい態度の下、何年も田倉家で身を粉にして働いて耐えてきた。
初めはおしんを厄介者と扱うような態度をみせていたが、同じ嫁としての立場からおしんに共感。おしんを陰ながら支援するようになり、おしんのために産着を用意した他、おしんが佐賀を出る時は見舞いに出た清の隙をついて雄を連れ出し、おしんに引き渡した。また清が破り捨てていたおしんからの手紙を拾い集めて裏張りし、後に竜三に渡したりもしている。
田倉 亀次郎(かめじろう) / 演 - 成瀬正
竜三の次兄。陸軍中佐。妻(ひろ子)と子もあるが登場はしていない。
伊勢で竜三に軍に魚を収める仕事を紹介し、雄には陸軍士官学校進学を勧める。
山根(田倉) 篤子(やまね(たのくら)あつこ) / 演 - 長谷直美
竜三の妹。おしんが田倉家に来る前に嫁に行っており、時々田倉家に戻っては清から手厚いもてなしを受けていた。おしんと同時期に妊娠し、彼女が田倉家で出産する事になったのも、おしんが長女の愛を死産する要因となった。その後、清はおしんの償い、篤子生まれの娘命名は「愛」。
今村 源右衛門(いまむら げんえもん) / 演 - 今福将雄
田倉家(佐賀)の奉公人。田倉の本家で竜三の子守をしていた。竜三のお目付け役として上京。
当初はおしんを貧しい小作人の娘ということで、田倉商店に転がり込んだおしんのことを快く思っていなかった。
だが家事全般はもちろん、読み書きやそろばん、お茶生け花などが出来る事を知り、気立てと威勢の良さから次第に彼女を認め、大五郎に竜三とおしんの結婚に太鼓判を押すほどになる。
田倉商会の工場落成の際は商会本店で雄の世話をしていたが、関東大震災が発生すると本店の家屋が崩落。崩れてきた柱から雄を庇い、死亡した。
佐太郎 / 演 - 木内聡、千代 / 演 - 藤田亜里早、千賀 / 演 - 金子成美、平吉 / 演 - 服部賢悟→四元りょう
福太郎、恒子夫妻の子ら。
なお佐太郎は現代のパートにも登場しており(老年期の配役は平島武広)、おしんに再会するも「見た事がある」と言うだけでほとんど忘れていた。
おしんも当時の辛い状況を考えて、話し合おうとはしなかった。
また、佐賀でお墓参りをするおしんと圭の会話から前述の清と大五郎の他に福太郎と恒子も現在は既に鬼籍に入っていることがわかる。
つぎ / 演 - 有明祥子
田倉家(佐賀)の奉公人。

田倉家(伊勢)[編集]

おしんの子供たちとその家族。

田倉 雄(ゆう) / 演 - 伊藤毅→荻堂譲二→山野礼央→槇浩→松田洋治冨家規政
おしんの長男。大正12年(1923年)1月14日生。伊勢での行商時代にも母子ともに過ごし、誰よりも母を想う青年に成長。
一時は陸軍士官学校進学を志すが、戦争を嫌う母の言葉、そして初子の言葉を受けて断念し、県立中学から三高そして京都帝大文科へ進む。
初子とは相思相愛の仲であったが、学徒出陣の出征後に戦死する。戦友川村の話及び雄自身の手記から餓死であったことが発覚する。
田倉 愛(あい) / 演 - なし
おしんの長女。大正13年(1924年)秋、佐賀で出生直後に死亡。
田倉 仁(ひとし) / 演 - 望月匡貴→内田慎一→山下真司高橋悦史
おしんの次男。昭和4年(1929年)10月生まれ。
雄や希望とは異なり、粗暴な一面もあり戦時中には特攻隊へ志願、出陣命令を受け実家に訣別の葉書を送ったが、鹿児島で待機中に終戦を迎えたことにより一命を取り留める。
しかし、雄と同様に母や家族を想う優しい一面もあるものの、それが他人を思いやらない自己中心的な心に繋がり、おしんを苦しめてきた。
戦後には田倉家の跡取りとしての意識を強く持ち、戦後は進学せずにおしんと商売に精を出していたが、いつまで経っても儲からない商売に行き詰まっており、やがてセルフサービスの新しい商売の話を持ち出す。
八代 希望(のぞみ) / 演 - 大渕貴人→萩原等司塩屋智章野村万之丞
加代の忘れ形見。おしんの養子。仁と同い年で兄弟として育つ。
おしんは希望に加賀屋を再興させることが恩返しであると考え、姓は八代のままである。希望は戦後の再出発においては進学せずに商売を手伝っていた。しかしやがて自身が商売に向いていないことを悟り、田倉の家を出て陶芸家の道を志す。親(おしん)思いで、穏やかな性格。
田倉 初子(はつこ) / 演 - 上中はるか→長島裕子[注 5]田中好子佐々木愛
おしんの養女。中沢健の遠縁。大正15年(1926年)生まれ、千人針の話から初子の生年が寅年であることがわかる。山形の小作の娘で、
おしんと似た境遇で、幼くして死んだ娘の愛と年が近いため、おしんは娘同様に育て、仁や希望にとっては優しい姉、雄とは相思相愛の仲になる。
雄の戦死後はおしんの元を去り、家に送金していた。実は東京でアメリカ兵相手の商売に身を落としていたのだが、昭和24年、おしんの説得で伊勢へ戻る。
再び田倉家の家事と商売を支え、仁から生活面の御礼として裁縫店を与えられるも、独身を通して実の母のように慕うおしんの面倒を見る。
田倉 禎→崎田 禎(てい→さきた てい) / 演 - 野竹和子→山下陽子→浅沼友紀子吉野佳子→吉野由樹子
おしんの次女。昭和11年(1936年)2月26日生まれ。誕生日が明らかでない登場人物が多い中、禎は2.26事件当日に生まれたとドラマ中に描写されている。
一時は田倉家の家事をこなしていたが、自分の子供には学問をさせたかったおしんの願いから名古屋の大学へ進学する。
大学では青春の日々を過ごしていたが、帰省した際に新しい商売に踏み切ったおしん達が身を粉にして働いている姿を見て大学での日々に違和感を覚え、遂には中退。
おしんの商売を手伝い、仁に勧められていた辰則との結婚も真剣に考えるようになる。だが、辰則との結婚の後は商売のみを考えるようになってしまった。
田倉 道子(みちこ) / 演 - 田中美佐子浅茅陽子
仁の妻。旧姓川部。裕福な家庭で育った現代的な女性で、一人娘として甘やかされて育ったため家事が得意でない。
貧しい小作人の娘という境遇や人一倍働き者のおしんとはたびたび諍いを起こす。
結婚しても、同居生活や出産などでおしんたちと衝突を巻き起こし、耐えられないと決まれば実家に帰っていた。
中年期からは、おしんが彼女と距離を置きつつあったために、何事も問題無く通ってきたが、新舗開店時の家出で今までの鬱憤を含んで立腹。
しかし、おしんがいかに一族のために尽くしているかの姿を見て分かり合うようになる。
崎田 辰則(さきた たつのり) / 演 - 渡辺寛二→桐原史雄
禎の夫。仁の戦友で、アメリカのスーパーで働いていた経験を持つことから田倉商店の従業員として仁に招かれる。気さくな性格で商売の成功のため精力的に働く。
八代 百合(ゆり) / 演 - 丘山未央→寺田路恵
昭和25年から田倉商店で働く奉公人。良く働き控えめな性格で、おしんや初子からも可愛がられていた。
仁と関係を持つが、昭和28年、仁の結婚に際してことが露見したため田倉家にいられなくなり、希望の陶匠で働く。
おしんは百合を不憫に思っていたが、後に希望の妻となる。しかし、息子・圭を産み、新居を構えてすぐに交通事故で死去してしまう。
八代 圭(けい) / 演 - 岩淵健大橋吾郎
希望の息子。加代の孫。子供の頃、母の死によって一時おしんの下で生活していたことがあり、他の孫たちよりもおしんを慕っていて、おしんからも可愛がられていた。大学生の春休みに帰郷すると祖母代わりのおしんが家出しており、思い出話を当てにして捜索に訪れた銀山温泉で見事おしんを見つけることに成功する。
おしんと血の繋がりがないことは知っていたが、それ以上の事(奉公や実の祖父母の事など)はこの時点では聞かされてはいなかった。その後、おしんが過去に過ごした土地を一緒に訪れ、おしんが今までひた隠しにしてきた人生を知ることとなる。
物語終盤に実の祖母である加代、おしんの師匠であるくにといった先祖たちを思って、加賀屋の再興を目指そうと思い立つ。
田倉 剛(たけし) / 演 - 宮本宗明
おしんの初孫。仁の長男。幼少期に非行に走る。スーパー田倉の営業部長。
田倉 幸子(ゆきこ) / 演 - 景山真弓
剛の妻。
田倉 あかね / 演 - 鈴木美江
仁の長女。彼氏がいたが、ある事情で別れを告げられるが、なんとか立ち直る。
田倉 みどり / 演 - 川上麻衣子
仁の次女。名古屋の大学に通っている女子大生。
田倉 進 / 演 - 永山純一
剛の長男。おしんの曾孫。

複数編での重要人物[編集]

高倉 浩太→並木 浩太(たかくら こうた→なみき こうた) / 演 - 渡瀬恒彦
農民運動の活動家だが、実は大地主、大金持ちの貴族院議員の息子である。おしんの初恋相手で、浩太もおしんをかつての初恋の女性(若くして死去)と重ね合わせていた。竜三との結婚後も、伊勢での商売を紹介するなど生涯にわたっておしんを援助する。おしんの父作造が亡くなった直後に農民運動の関係でおしんの故郷を訪れたこともある。
戦時下には特高警察による拷問を受け、脚に障害を残し心身ともに荒廃した。
転向した後は運動から離れ、結婚して商売に精を出し成功し[注 6]、戦後には楽隠居の身となる。
未亡人となったおしんが店を出す際や加代の子である希望が独立する際も支援した。さらに、大型店に賭けたスーパーたのくらが倒産の危機にあった際、不採算の大型店を引き取って大手資本に仲介する話をまとめ、スーパーたのくらの窮地を救う。
長谷川 たか(はせがわ たか) / 演 - 渡辺美佐子
おしんの髪結いの師匠。日本髪専門の髪結い「長谷川」の女主人だが、おしんが洋髪で独り立ちできるよう育ててくれる。
江戸っ子気質の義理人情の深い、加賀屋のくにと並ぶ、人生の師匠でもある。
昭和28年の時点では亡くなっていることが第239回のおしんのセリフでわかる(後述の健も同様)。
中沢 健(なかざわ けん) / 演 - ガッツ石松
的屋。おしんが無許可で露天をして揉めたのを助ける。
おしんの度胸の良さに感心し、おしんが落とした売上金を返しに田之倉羅紗店にやってきておしんと意気投合。気前良く露天の出店許可を出し、おしんの商売に貢献する。奇遇にも同じ山形出身で、死んだ妹におしんが似ていたことから、以後、おしんを密かに愛する。
また、東京でおしんの人生の局面(佐賀から家出後の就労と住居の世話、女郎に凋落した加代との対面、消息不明になった初子の調査など)で重要な役割を果たす。なお、戦争中に露天商からは足を洗い、戦後は堅気として暮らしていた。
神山 ひさ(かみやま-) / 演 - 赤木春恵
伊勢に住む浩太の親類。網元。浩太の母のいとこである。浩太の面倒を幼少期から見ており、特高警察に追われる浩太の身を案じる。
浩太の紹介でおしんと雄を預かり、おしんが魚の行商人として独り立ちする手助けをし、戦後には未亡人となり家を追われたおしんが再起するため再び行商の手助けをする。
なお、昭和28年の時点では亡くなっていることが第238回のおしんのセリフからわかる。

山形の人々[編集]

源助 / 演 - 小倉馨
口入れ屋。おしんの最初の奉公先の中川材木店を世話した。中川材木店には9歳のおぼこだと言っていたが、7歳のおしんをつれていく。おしんが逃げ出した後、おしんの前払いの米一俵を無理矢理回収する。
中川軍次 / 演 - 平泉征(現:平泉成
おしんの最初の奉公先である中川材木店の主人。幼少のおしんのことを気にかけ、松田先生からの申し出を受け入れておしんを尋常小学校に通わせるなど理解はある。しかし、つねの高圧的態度の前には何の役にも立ってはいなかった。
後年、老年期のおしんが訪れた時は中川材木店はなくなっており、土地の人の記憶にもなかった。後述する中川材木店の人達の消息は現在は不明である。
中川 きん / 演 - 今出川西紀
中川軍治の妻。おしんのことを気にかけていたが、やはりつねに言いくるめられる事が多かった。
つね / 演 - 丸山裕子
中川材木店の奉公人。家事を20年以上取り仕切って来た女中で、奉公にきたおしんの躾け係となる。仕事熱心だが、頑固で気が強く、口調もきつい。下の者に対して温情を持って対応指導する姿勢に欠けている。幼いおしんにも容赦なく厳しく接する。おしんが小学校に通いはじめると「奉公人の分際で」と反対して昼飯を与えず、軍次・きん夫妻からもなだめられたが、学校をやめると「やっとわかったか」と喜んだ。自分の財布から50銭銀貨がなくなったのをおしんが盗んだと決めつけ、おしんの銀貨を取り上げる。おしんの失踪後、軍次がつねの財布から無断で銀貨を借りてその事を言い忘れていただけと判明するが、反省するどころか、奉公の代償の米を取り返すことを口入屋に指示して一層おしんを苦しめる。
しかし、この時の厳しいしつけにより、おしんは家事と辛抱強く働くことを身につけた。
定次(さだじ) / 演 - 光石研
中川材木店の奉公人。12才から奉公している。奉公に出るおしんを迎えに来た人物。以来、おしんを気にかけて声をかけたり、つねから庇ったりしていた。
おしんが書いた手紙を仕事のついでにふじの元に届けたり、その手紙を代読したりもしていた。
松田 / 演 - 三上寛
最初の奉公先近辺にある左澤尋常小学校の教師。
授業を興味津々に覗き込んでいたおしんを見つけ、自身も乳児を背負って就学していた経験があったために、中川家を説得して小学校に通わせた。
俊作(しゅんさく) / 演 - 中村雅俊
中川材木店から逃げ出したおしんを雪の山中で助けた猟師の青年。標準語を話す。山から下りず、鉄砲で撃った動物の毛皮を、松造に里で売ってもらっている。日露戦争の203高地で受けた銃弾が体に残っており、時折高熱を出す。
おしんが家に帰らず山小屋にとどまるのを渋っていたが、高熱で倒れたところを看病してもらったあとは、おしんに読み書きや算数、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』を教え、戦争の愚かさや命の尊さを説く。
春になり、おしんの里帰りに同行したが憲兵に見つかり、逃亡しようとしたところ射殺されてしまう。
実は脱走兵で追手から逃れるため山に潜んでいた。東京出身であり、一家は父親も兄弟も職業軍人である名門。俊作も日露戦争に出征したが、203高地の凄まじい戦いで考えが変わり、戦地から逃走。山形の山中で行き倒れていたところを松造に救われたという過去があった。
彼が大事に持っていた「君死にたまふことなかれ」の掲載された雑誌『明星』とハーモニカは里帰りの際におしんに手渡され、直後に形見となってしまったが、何時までも大切に取っておいた。この俊作と松造との生活によって、おしんは「人は物よりも心が豊かであれば幸せになれる」ことを知る。更に、「人を恨んだり憎んだり傷つけたりせず、相手の気持ちになり憐れみを持って許し接することにより、心豊かな人間になれる。」と、人の生きるべき道の教えを受け、おしんの人生観におおきな影響を与える。
松造 / 演 - 大久保正信
俊作と共に暮らす炭焼き職人。山を転々としながら暮らしている。息子二人を203高地で亡くしており、同じくそこで傷を負った俊作を匿っている。
当初は俊作と同じく自分たちの存在を知ったおしんを煙たがっていたが、次第に孫娘のようにかわいがる。俊作の死後、おしんが憲兵の取り調べで口を割らなかったため、罪に問われなかった。
おしんが吹いていたハーモニカの音に気付いて訪ねてきて、俊作の過去をおしんにうち明け、どこかへ去っていった。
りき / 演 - 渡辺富美子
谷村家の近所に住む村人。口入れをする事もある。当時の村人としては珍しく文章の読み書きが出来た為、おしんが子供の頃に奉公先の口利きをしてくれたり、字が読めないふじたちの代わりに手紙を読んで聞かせるなどおしんたちを何かと助ける。
桜木徳男 / 演 - 津村鷹志(津村隆)
おしんの元婚約者。
助平な男でお見合いの際におしんに抱き着き、おしんは抵抗の末、徳男を池の中に投げ落としてしまい、結果加賀屋の奉公が終わってしまう。
平野 / 演 - 金田明夫
おしんの姉・はるが働いていた製糸工場の監督員ではるが密かに恋心を抱いていた。おしんが見舞いに来てほしいと製糸工場まで出向いて平野に頼みに行き、はるが亡くなる直前に花束を持って見舞いに訪れた。
勝次 / 演 - 江幡高志
作造が連れてきた口入れ屋。おしんが加賀屋を辞めた後の次の奉公先を斡旋したが、女衒であった。

東京の人々[編集]

りつ / 演 - 名川忍
髪結い「長谷川」の奉公人。千葉の小作出身。最初、飛び込んできたおしんを厄介者と嫌っていたが、次第におしんを姉のように慕う。
洋髪主流の影響でほとんどの奉公人が辞めてしまった中、たかのために一人「長谷川」に残って奉公していた。
震災直後、田舎に戻り髪結いの店を持つ。
豊 / 演 - 田中世津子、その / 演 - 真野ゆうこ、袖 / 演 - 木瓜みらい、けい / 演 - 島村美紀、夏 / 演 - 富沢美智江
髪結い「長谷川」の奉公人。
つる / 演 - 此島愛子
おしんの出髪の競争相手。
染子(そめこ) / 演 - 日向明子
神田のカフェー「アテネ」の女給。おしんにとって最初の髪結い客で、最初結った髪が気に入らず怒って帰ってしまったが、店で好評だったため贔屓の客になる。
「アテネ」の客であった竜三に軽い恋心を抱いて、字の書けるおしんに恋文を書くようにお願いしたことが、おしんと竜三の結婚のきっかけとなった。
両者の結婚には認め、仲間たちと共に暖かく見守る。ある時、田倉商店の危機に一人豪遊して「アテネ」に訪れた竜三を叱ったこともあった。
震災直後、おしんとは離れ離れになってしまい、消息は不明。
波子(なみこ) / 演 - 浦谷ひづる、八重子(やえこ) / 演 - 谷川みゆき、茂子 / 演 - 古館ゆき
神田のカフェー「アテネ」の女給たち。染子に影響されて、おしんの髪結いの常連客となる。
ロク / 演 - おぼん、サブ /演 - こぼん
中沢健の子分。おしんが彼らに無断で露店をしていた所、おしんと押し問答となる。
しかし、親分とおしんの和解の後は、分かち合って手助けするようになる。
徳造 / 演 - 神田正夫、かね / 演 - 橋本菊子
おしんが髪結いとして初めて独立した時の最初の下宿先の大家夫婦。
留吉 / 演 - 中島元
大工、田倉商会を子供服縫製所への改造を請け負った。
中本 / 演 - 小池栄
婦人服の仕立屋。おしんは型紙の制作を依頼したり技術指導を受けたりした。
立原 / 演 - 大矢兼臣、長野 / 演 - 加賀谷純一
大野屋の仕入れ担当者
山口ミサ / 演 - 渡辺康子
ミシンの技術指導員
梅子 / 演 - 大畑ゆかり、糸子 / 演 - 中尾和子、敏子 / 演 - 百瀬三邦子、弓枝 / 演 - 西沢正代、勝子 / 演 - 野沢由香里、久代 / 演 - 大越章子
ミシンの縫い子

佐賀の人々[編集]

耕造(こうぞう) / 演 - 隈本吉成
竜三の幼馴染で、田倉家の小作。居候になった竜三・おしんと一緒に畑仕事をする。
佐和(さわ) / 演 - 香野百合子
田倉家の小作・耕造の妻。元天草の女郎(ドラマ120回では清は「島原ん女郎たい」と言っている)で近所から距離を置かれているがおしんと懇意にする。自身の境遇に悩んで身投げ騒ぎを起こした。
おしんは佐和の境遇に共感し、一度目の家出の時は彼女にお金を渡し、彼女と一緒に逃げる手はずになっていたが、彼女は計画を無謀とみて竜三に相談。そのため、おしんの家出は失敗したうえに、この時に肩に負った傷が元でおしんの右手が効かなくなり、結果的におしんを裏切ることになってしまった。
後におしんよりも一足先に東京へ逃亡。おしんが佐賀から上京した後で再会し、おしんからもらったお金を全額返済した。

伊勢の人々[編集]

並木 香子 / 演 - 片岡静香
浩太の妻。造り酒屋の一人娘。
並木 宗男 / 演 - 長谷川哲夫
浩太の息子。浩太の後を継いで食料品店を営む。スーパーたのくらの強引なやり方に激怒し、17号店出店反対運動の先頭に立つが、失敗。やがて自身の店を含めた商店街の土地を大手資本に提供し、自分は出来上がったスーパーにテナントに入るという戦法をとり、スーパーたのくらを窮地に追い込む。

[編集]

川村 清一 / 演 - 斉藤洋介
雄の戦友。戦時中におしんと初子が軍隊にいる雄に面会した時に同席し、おしんが持ってきたおはぎを食べさせてもらった。
戦後、戦死した雄の遺品を届けに田倉家を訪れ、さらに数年後、裏の仕事で大金を儲けて、初子に結婚を申し込む。
雄の代わりに親孝行の意味も込めて駅前の土地をおしんに譲渡する。しかしその直後、営んでいた高利貸しの債務者に襲われて28歳の若さで生涯を閉じる。
川部 仙造 / 演 - 長門裕之
道子の父。名古屋の衣類問屋の主人で、商売拡大のため道子と仁の結婚を進める。
スーパー創業の際に自分の商売への介入を嫌い出資を断るおしんの態度にはじめ反感を持つ。
やがて同じ時代を生きたもの同士として共感を示し、甘える道子や批判する波江よりもおしんの考え方を認めるようになる。
なお、現代は亡くなっている事が第289話の道子の台詞からわかる。
川部 波江 / 演 - 今井和子
道子の母。若い頃に嫁姑問題で苦い経験をしたため、一人娘の道子にはそういう思いはさせたくないとの考えから、結婚には当初から否定的で、結婚後も姑のおしんに冷たい態度をとることが多かった。
栄造 / 演 - 大友柳太朗
希望の陶芸の師匠。
ふみ / 演 - 風見章子
栄造の妻。
次郎 / 演 - 菊池浩二
田倉商店の従業員。
征男 / 演 - 家中宏
田倉商店の従業員。
文子 / 演 - 伊藤公子
田倉家(伊勢/完結編)のお手伝い。
宿の仲居 / 演 - 芝田陽子
老年期のおしんが銀山温泉に回想の旅に出た時に宿泊した宿の仲居。
銀山温泉の宿の女将 / 演 - 草村礼子
語り / 演 - 奈良岡朋子
本作のナレーション。最終回に犬を連れて散歩する女性として顔出し出演し、海岸で共に歩くおしん・浩太を夫婦だと思って挨拶し、去って行った。

スタッフ[編集]

  • 脚本:橋田壽賀子
  • 音楽:坂田晃一
  • 制作:岡本由紀子
  • 演出:江口浩之、小林平八郎、竹本稔、望月良雄、一柳邦久、吉村文孝、江端二郎、大木一史、秋山茂樹
  • 山形ことば指導:芝田陽子
  • 酒田ことば指導:大久保正信
  • 佐賀ことば指導:吉岡節子
  • 島原ことば指導:山田孝子
  • 書道指導:星富恵子
  • 殺陣指導:林邦史朗
  • 茶道指導:戸田宗安

『おしん』の反響[編集]

日本での反響[編集]

  • 本放送の人気ぶりからオシンドロームと呼ばれるほどの社会現象を巻き起こした。この『オシンドローム』という言葉はアメリカのニュース雑誌「タイム」のフリー記者であるジェーン・コンドンが紙上で掲載したもので、1984年の第1回新語・流行語大賞の新語部門・金賞を受賞している[21]
  • 中曽根康弘首相は「おしん、康弘、隆の里」と自らを2名に準えて表現し、混迷する政局を耐え忍ぶ姿を自戒している。「隆の里」とは31歳で第59代横綱に昇進し、新横綱全勝優勝を遂げた力士・隆の里俊英の事で、苦難を越えて昇進した人物像から「おしん横綱」という愛称を持つ。
  • 田中角栄も極貧の生まれから一代で身を起こした己の人生と『おしん』を照らし合わせて、涙ながらに「俺は男おしんだ」と語っている。ただし、橋田は後のインタビューで「教科書のような話を書いたつもりはないので、政治家や財界人が訓示に引用するのには、違和感を覚えた」と述べている。
  • カルビーの創業者で、当時71歳だった松尾孝がおしんにぞっこんで、「おしんさんを見てますとね、自分が商売を始めたころの苦労を思い出しましてねえ」と、おしんを呼び捨てにせず、「おしんさん」と敬称をつけるほど惚れ込みようで、「綾子ちゃんをわが社のコマーシャルに」と切望した[22]。しかし、茶の間のアイドルになった小林には、50社以上の企業からCM出演の申し込みが殺到した[22]
    • 幸い小林が東映に所属していたため、松尾と東映の社長・岡田茂が広島一中(現広島国泰寺高校)の先輩後輩の関係で、契約がトントン拍子に進み、小林のCM初出演がカルビー『かっぱえびせん』に決まった[22]。CM制作は東映CMが担当し、放送開始1ヶ月半後の1983年5月中旬から制作が始まり、当時はほとんどなかった台本つき、さらに美術にもお金をかけて通常の2倍の2000万円で製作した[22]
    • 当初のCMタイトルは『綾ちゃんの大根めし』で、小林が『おしん』そのままの貧しい着物姿で登場して「腹が減ったときには大根めしでもうまかった」とドラマそのままのセリフがあり、オンエア直前にNHKから「これでは『おしん』が企業とタイアップしたようにとられる」とクレームを受けた[22]
    • また橋田が毎日新聞エッセーで「『おしん』は私のものなのよ。なのに私にはひとことも相談がないんですもの。あれは視聴者が出したお金で作った公共放送のドラマですよ。そのイメージを、一私企業が宣伝に使ってはいけないのよ。いくらドラマのキャラクターには著作権がないからって、強引すぎる」と訴えた[22]。このため、タイトルは『食事編』に変更され、小林のセリフはカット、小林の食事シーンに「世の中がどんなに変わろうと、子供たち、元気でがんばって下さい」などのナレーションが入るものに変更され、1983年夏からオンエアされている[22]
  • 「おしんのしんは辛抱のしん」と辛抱を呼びかける現象までも発生したが、橋田は「あれは辛抱を描いたドラマではありません」と自粛を呼びかけていた。
  • TV放送をこよなく観賞していた昭和天皇も連続テレビ小説を能く視聴し、『おしん』を視聴した際に「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」と感想を述べたという[23]
  • 中曽根の言動を模したようなものに「おしん、家康、隆の里」というのがあるが、「家康」とは、おしんの同年に放送されたNHK大河ドラマ徳川家康』を示し、作中と史実において伝わってくる家康の忍耐心を隆の里、『おしん』となぞらえたもので、流行語となった[24]
  • 本放送時、札幌市水道局の水道使用量が急速に減少して警告が鳴り、ラジオドラマ『君の名は』の再来か、というエピソードが当時の北海道新聞に掲載された。
  • 嫁姑戦争の舞台となった佐賀県では、「佐賀の女性はこんなのではない」「県のイメージダウンになる」とNHK佐賀放送局に抗議の電話が殺到[10]NHKが「もう少し見てもらえれば真意を汲み取ってもらえる」と釈明を出す必要に迫られた。この時、姑を演じた高森和子はテレビのトーク番組に出演し「あれは演技の上ですよ」と苦笑しながら釈明している。
  • ドラマと現実の区別がつかなくなった熱狂的な視聴者が、おしん役の小林綾子や母ふじを演じた泉ピン子宛てに白米を送ったり、「おしんに渡してほしい」と、NHKに多額の金銭が送ってこられることもしばしばあった。作中でおしんの父・作造がおしんやふじに厳しく接するため、作造役の伊東四朗宅に石が投げ込まれたり[10],「お宅のご主人は娘に厳しすぎる」と視聴者が抗議に訪れ、家人が「あれはそういう役」「うちには娘はいない」と応対するも最後には庭先で口論になったこともあったという。おしんと対立した姑を演じた高森和子は町中でにらみつけられたり、苦情を言われたこともあった。
  • 当時の「おしんブーム」にあやかろうと、演歌歌手・金沢明子が「おしんの子守唄」をリリースしている。なおB面曲の「おしん音頭」は、歌詞がユーモラスだったことから「森田一義アワー 笑っていいとも!」で取り上げられたことがある。シングルレコードのジャケット柄は宗美智子による漫画版『おしん』のイラストであり、1983年11月末までに6万枚を売り上げた[25]
  • 「おしんブーム」で山形県を訪れる観光客が増加、県内観光名所の飲食店のメニューに「大根めし」も登場し話題となった。
  • 『おしん』の幼年期については非常に反響が大きかったため、1984年夏にNHK総合テレビで幼年期のみ再放送されている。
  • 必殺仕事人IV』22話「主水、大根めしを食べる」において、中村主水がお灸に辛抱できない中で、上司の田中熊五郎が小説を読みながら、本作を連想させる発言をする。主水から毒づかれるが、ムキになっていた。
  • 1983年5月26日に発生した「日本海中部地震」を描いた矢口高雄のコミック「激濤 Magnitude 7.7」に、夫婦で出漁していた猟師が『おしん』のお昼の再放送を見ようと急いで港に戻るシーンが描かれている。なお、実際の当日の昼の放送は、報道特別番組のため休止された。
  • DVD-Videoに続いて[26]、2013年9月27日に「少女編」「青春編」がBlu-ray Discで発売され、2013年11月22日に「試練編」「自立編」「太平洋戦争編」、2014年1月24日に「再起編」「完結編」がBlu-rayでNHKエンタープライズから発売されている。

外国での反響[編集]

759阿信屋
759阿信屋
  • 『おしん』は日本国外、とりわけアジア圏で人気が高く、『おしん』を観て日本や日本女性に好意的な印象を抱いたという人々も数多い[要出典]。少女時代を演じた小林綾子が放送された国を訪れると、今でも「オシン!」、泉ピン子は「オシンマザー!」と呼ばれ、様々な歓待を受けるという。一方、西欧諸国などで放送された時、国によってはあまり人気が出なかった。
  • 海外初の放映は1984年のシンガポールで、日本で放送を見てファンとなった駐日シンガポール大使の要望により実現し、視聴率80%を達成、このヒットによりタイやオーストラリア、アメリカ、中国などで放送されることになった[27]
  • 当時の内閣総理大臣中曽根康弘と親密な関係にあったアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが、1983年に来日した際に国会で「日本にはおしんの精神がある」と日本人を『おしん』に喩え、称賛している[要出典]
  • 中華人民共和国では非常に人気があり、初回放送から20年以上経った2007年でも、湖南テレビにて、『阿信』(アーシン)として再放送されている(「阿」は古来の中国語で幼名につけられる接頭語で、日本語の「お」に相当。「信」の方は宛字)[要出典]。 
  • 香港では、1985年に無綫電視で『亞信的故事』(アッソンデクースィー)として放送された。広東語のオリジナル主題歌「信」をジュディ・オングが歌い、香港を含む東南アジアの広東語圏全域で大ヒットしている。また香港を中心に展開している食品ディスカウント・ストアチェーンに「759阿信屋」というのまで存在する。
  • 中華民国台湾)では、1994年に中視で中国同様『阿信』として放送された。オープニング曲「永遠相信」はジュディ・オングが、エンディング曲『感恩的心』は欧陽菲菲が歌い、どちらも大ヒットした。なお、エンディング曲「感恩的心」は、中視の放送休止時間中のフィラーとしても使用されている。2008年3月25日20時から再放送(なお、再放送版、フィラーではエンディング曲の歌手がロジャー・ヤンとなっている)。
  • ベトナム社会主義共和国では、1990年代半ばに『おしん』がVTVで放送され、放映時間には町に人影がまばらになるほど高視聴率を取った[28]。都市部では「おしん」という語は貧しい女性を意味するようになり[28]ベトナム語メイド家政婦やお手伝いさんを指す名詞クオック・グー綴り:osin)になっている。2013年9月からHTVで再放送されている。放映当時のベトナムは、一般的に人々の生活も安定して衣食の面ではほとんど不自由がなくなり、働けば働くほど収入が得られるようになりつつあるなど、努力の結果を予測できる社会になり始めていたころであり、また、長く続いた戦争で国土が焦土化してしまったベトナムにとって、戦後驚異的に経済復興した日本は自国の未来と重なる部分が多かったため、人々の共感を呼んだが、おしん以降は中国や韓国のドラマが人気で、日本のドラマは受け入れられていない[29]
  • エジプトでは1993年に放映された。カイロでは、『おしん』放映時間に停電が発生、放送を観られないことに怒った視聴者が電力会社やテレビ局に大挙押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があった。その後、政府が該当話の再放送を約束する声明を出し、事態はようやく収束した。2018年放映のNHK番組の取材によると、エジプトでは「おしん」という名前は、働き者で正直者、向上心があって賢いというイメージがあり、放送から25年たった今でも店名や社名に「おしん」を使う例がみられるほか、子供にはイスラム教に関連する名前をつけることが一般的である中、「おしん」と名付けられた女性たちもいた[30]。当初は前例がないという理由で市役所に断られ、裁判に訴えた者まであったという[31]。日本女性との結婚や日本語学習に興味を持つ者が現れ、日本に関する報道も増えていき、国民的俳優のモハマド・ソボヒーによる「Aalat Wanis(ワニース一家)」という日本女性オシンが登場するドラマも制作されて人気を集めた[31]
  • アフガニスタンイランではペルシャ語吹き替えにて放送されたが、爆発的人気を誇り、長きに亘り『Oshin(ウーシン)』は日本を表す代名詞となった。なおイスラム教国では、男女が自然に触れ合う場面などが放映時に削除されたため、逆に「オリジナルにはわいせつシーンがある」との憶測を呼んだことがある。
  • イランでは『家を離れて幾年月』という題で1986年にイラン国営テレビでの放映されたが最高視聴率90%超を記録する人気となり、戦争で夫や息子を失う等、受難と物資不足を経験していた当時のイラン人の激しい共感を呼んだ[32]。「おしん」の子供時代の部分のみがまとめられ、青少年向け映画として上映されることもあった[33]。おしん夫婦が経営した子供服製造所の名前から、イランでは俗に古着屋のことを「タナクラ店」、古着のことを「タナクラ服」とも呼ぶ[33]。日本人旅行者がイラン国内で銃を突きつけられ、スパイ容疑で尋問された際に司令官がおしんファンで難を逃れた等の逸話もある[34]。おしんのヒットで80年代には日本のドラマがいくつか放映されたが、以降は韓国ドラマに取って替わられた[35]
  • 1989年1月28日、ムハンマドの娘ファーティマの誕生日兼婦人デーであるこの日には「イスラム女性の象徴はだれか」という質問形式のラジオ番組が放送されたが、ある女性が質問に『おしん』と回答しその後の受け答えでファーティマを古い女性だと形容した。ホメイニ師が責任者の処罰を要求した結果、件のラジオ局の責任者4人に対し反イスラム的であるとして科刑、解雇という判決が下されるが、当のホメイニ師が恩赦として判決を撤回させている[36]
  • ジャマイカでは、おしんブームが到来し、男女に限らず、名前に「オシン」をつけるのが流行した[要出典]
  • ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るためにお祈りの時間を変更した[27]
  • 湾岸戦争後、荒廃したイラクに対する復興支援の一環として、日本国政府はアニメ「キャプテン翼」と「おしん」の全放映権(VTR)を無償提供した。これはイラクの放送局および国民から、水道などのインフラストラクチャ復興提供と同等、ないしはそれ以上に熱狂をもって感謝されることとなった[要出典]

海外での放送[編集]

海外で放送された国と地域(2012年3月現在68の国と地域)

番外編『もうひとりのおしん』[編集]

終戦記念日である8月15日からの6日間、ドラマ『おしん』を中断して放送された。これは田中裕子が疲労で倒れ、絶対安静を余儀なくされてドラマ撮影に支障が生じた事で急遽制作されたドキュメンタリー作品で、おしんと同じように戦前から戦後の混乱期を耐え抜いて生きてきた女性たちの群像をテーマに描いたものである。しかし、田中の休養については何ら告知もしておらず、視聴者からのクレームも多かったという[37]

出演者[編集]

大橋吾郎小林綾子橋田壽賀子小木新造 ほか

スタッフ[編集]

放送日[編集]

放送回 放送日 サブタイトル
第1回 08月15日(月) いろりのまわりに家族がいた
第2回 08月16日(火) めしはいつも大根めし
第3回 08月17日(水) 女は一生働きづめ
第4回 08月18日(木) 夏も冬も着たきりすずめ
第5回 08月19日(金) ことばは国の手形
第6回 08月20日(土) 日本中のおしんたちへ

舞台[編集]

小説・文庫・シナリオ本[編集]

漫画[編集]

  • 原作:橋田壽賀子
  • 漫画:宗美智子
    • 『おしん』1、集英社マーガレットコミックス〉、1983年。ISBN 4-08-850786-X
    • 『おしん』2、集英社〈マーガレットコミックス〉、1983年。ISBN 4-08-850819-X

演劇[編集]

映画[編集]

アニメ映画版[編集]

テレビドラマの第1部をアニメーション映画化したもの。1984年3月17日公開。高視聴率を挙げたドラマとは裏腹に上映打ち切りが相次ぎ、興行的には失敗に終わる。制作費3億円に対し配給収入は約2億円。失敗の原因に関してサンリオは「サンリオのファミリー映画はいつも子供が親を引っぱってきた。今回は子供にソッポを向かれたのが原因」としている。2006年、ポニーキャニオンから発売された『サンリオ映画シリーズ』の1作としてDVD化された。

  • アニメ版ではおしんの年齢や年号がはっきりと描写されている。
    • 物語の始まりは明治40年春、おしんは数え年で7歳、満年齢で5歳であった。
    • 俊作、松造とで雪山に篭っている時に明治40年暮れ明治41年となった。この2年前に日露戦争が終わっていた。
    • 加賀屋に奉公に来て最初の年に明治41年から明治42年になり加代と共に新年を祝った。
  • エンディングクレジットには「お豊」という登場人物がおり声を芝田陽子が担当している。芝田陽子はテレビドラマ版では銀山温泉の仲居として登場しているがアニメ版では存在を確認できない。
声の出演
スタッフ
主題歌
  • 「小さな願い」 歌:小林綾子
  • 「雪割草のように」 歌:上條恒彦
    作詞:山上路夫
    作曲:坂田晃一

実写映画版[編集]

2012年6月11日にセディックインターナショナルから、実写映画化が発表された。放映開始30周年を迎える2013年10月12日に劇場公開された。主人公のおしん役は半年にわたる全国オーディションで[39]、約2500人の中から濱田ここねが選ばれた。またテレビドラマ版に出演した泉ピン子、小林綾子、ガッツ石松が別の役柄で出演する[40]。監督は山形県鶴岡市出身の冨樫森。山形県内でオールロケを敢行し、2013年2月15日にクランクインし、3月31日にクランクアップした[41]。第22回金鶏百花映画祭にて国際映画部門の最優秀作品賞を受賞。最終興行収入は4億円だった[42]

キャスト(実写映画)[編集]

スタッフ(実写映画)[編集]

協力[編集]

受賞[編集]

テレビ放送[編集]

2015年12月31日に『大晦日! 映画特別企画』と銘打って、TBSの9:55 - 11:55(JST)で地上波初放送[43]文字多重放送)。視聴率は1.4%だった。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 現代パートのおしんはこの発言について「信じてやらなきゃ母ちゃんが浮かばれない」とつぶやいている。加賀屋のくには「おっか様がどげなことをしてもけして悪く思うんでねえぞ」と言っている。
  2. ^ 演じた伊東は後年、CX系「メントレ」にゲスト出演した際、このシーンが実は別撮りによるものであったことを明かしている。
  3. ^ その後、成人した希望によって酒田に移されるが、お墓参りの都合から分骨されて伊勢のお墓にも納められている。余談だが最終回、おしんと浩太がお墓参りをし、後述の奈良岡朋子顔出しシーンに繋がる。
  4. ^ 後に浩太からの手紙がきっかけでこの行為が発覚してからは竜三に手紙を渡すようにはなった。
  5. ^ 長島ナオトの姉。
  6. ^ 加代の夫政男は浩太の商才を見抜いており、酒田で飯屋を営んでいたおしんにそのことを話した事がある。

出典[編集]

  1. ^ NHKアーカイブス
  2. ^ 『ドラマと方言の新しい関係』笠間書院、2014年、26-27頁。
  3. ^ FAQ -よくある質問”. NHKグローバルメディアサービス. 2014年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月7日閲覧。
  4. ^ 共演者も仰天した、怪優・田中裕子『おしん』撮影秘話(5/5)”. 週刊現代、現代ビジネス (2019年6月23日). 2019年7月13日閲覧。
  5. ^ 最低平均視聴率なのにDVDが大売れ!「ちりとてちん」貫地谷しほりがメッセージ!”. シネマトゥデイ (2008年6月26日). 2016年8月16日閲覧。
  6. ^ 連続テレビ小説「おしん」、新年より再放送開始!”. NHKオンライン (2012年11月22日). 2013年1月18日閲覧。
  7. ^ 再放送情報 連続テレビ小説アンコール「おしん」”. NHKオンライン (2019年2月13日). 2019年3月23日閲覧。
  8. ^ おしんのモデルは川根本町の女性だった!(2013年3月10日時点のアーカイブ) - 静岡新聞2013年3月7日15:33配信 配信日に閲覧
  9. ^ 雪国舞台 日本人の苦難体現(2013年5月1日時点のアーカイブ) - 読売新聞 2011年11月9日配信 2013年3月7日閲覧
  10. ^ a b c 日本経済新聞2019年5月23日付「私の履歴書 橋田壽賀子」
  11. ^ ザテレビジョン編集部[編]『TVの出来事まるごと10年!別冊ザテレビジョン』角川書店・1992年、146ページ
  12. ^ 橋田壽賀子「私の履歴書」『日本経済新聞2019年[要ページ番号]
  13. ^ 朝ドラ人気ヒロインの名前由来は? おしん、め以子、谷田部みね子…”. スポーツニッポン (2018年4月12日). 2018年4月19日閲覧。
  14. ^ 大好きだから迷わずこの道を進んでゆきます。 小林綾子”. 5L(ファイブエル) 株式会社TARGET (2015年12月2日). 2019年7月7日閲覧。
  15. ^ おしんの生家撮影地”. 山形県中山町観光協会. 2019年7月7日閲覧。
  16. ^ 私の履歴書」橋田壽賀子(21)宿願 歩み始めた「おしん」500人から残った綾子ちゃん 『日本経済新聞』2019年5月25日付朝刊。
  17. ^ 番組エピソード 連続テレビ小説「おしん」”. NHK名作選みのがしなつかし. 2019年7月7日閲覧。
  18. ^ インタビュー小林綾子さん NHK「朝ドラ100」”. NHKオンライン. 2019年4月20日閲覧。
  19. ^ 共演者も仰天した、怪優・田中裕子『おしん』撮影秘話(2/5)”. 週刊現代、現代ビジネス (2019年6月23日). 2019年7月13日閲覧。
  20. ^ Template:Cite かweb
  21. ^ 第1回〔1984(昭和59)年〕- 新語・流行語大賞”. 2013年1月7日閲覧。
  22. ^ a b c d e f g 「『やめられない、とまらない』カルビー松尾孝社長(71歳)の"おしん狂い"」 小林綾子ちゃんのCMデビュー」『週刊朝日1983年昭和58年)7月15日号、朝日新聞社、 27 - 29頁。
  23. ^ 「われらが遺言・五〇年目の二・二六事件」(『文藝春秋』1986年3月号)
  24. ^ 参考・出典 大原誠・著「NHK大河ドラマの歳月」日本放送出版協会
  25. ^ 『週刊日録20世紀 1983(昭和58年)』講談社、1998年、39頁。
  26. ^ 最低平均視聴率なのにDVDが大売れ!「ちりとてちん」貫地谷しほりがメッセージ!”. シネマトゥデイ (2008年6月26日). 2016年8月16日閲覧。
  27. ^ a b 連続テレビ小説「おしん」(2)反響編アーカイブスブログ、NHK, 2008/06/20
  28. ^ a b ベトナムにおける日本文化ホー・ホアン・ホア(北アジア研究院日本研究センター)2010
  29. ^ ベトナムのメディア・コンテンツ市場に関する研究香取淳子、長崎県立大学国際情報学部研究紀要 第12号(2011)
  30. ^ 人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!台湾!エジプト!日本人名2018年1月25日放送 19:30 - 20:15 NHK総合、TVでた蔵
  31. ^ a b 日本とアラブの交流史―両者の相互理解に関する一試論Hassan Kamel. 名古屋大学大学院, 言葉と文化 6, 71-86, 2005-03-31.
  32. ^ 連ドラ『おしん』、27年の時を経てふたたび2013年05月09日付 Jam-e Jam紙
  33. ^ a b 「おしん」から30年:日本の経済発展のモデルは2010年代イランの子供たちにとっての道標(1)2013年10月10日付 Mardomsalari紙
  34. ^ イランの砂漠の真ん中で、革命防衛軍兵士に自動小銃を突きつけられて、地下室に連行された
  35. ^ 好評、『宮廷女官チャングムの誓い』をめぐって:チャングムが私たちの家にやってきた!2007年06月12日付 Iran紙
  36. ^ 朝日新聞1989年2月3日 朝刊 2外◆「おしん」賛美、ホメイニ師「許さぬ」 責任者、一時は禁固刑
  37. ^ 織田裕二病気休養(オールアバウト)
  38. ^ おしん青春篇プログラム
  39. ^ 「おしん」映画化 県内オールロケ、来年クランクイン 山形”. MSN産経ニュース (2012年6月12日). 2012年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月2日閲覧。
  40. ^ おしん : 映画版母親役に上戸彩 主役は新人子役の濱田ここね”. まんたんウェブ (2013年2月5日). 2013年2月5日閲覧。
  41. ^ 上戸彩、『おしん』クランクアップで濱田ここねを抱擁「一生親友でいたい」”. マイナビニュース (2013年4月4日). 2013年7月21日閲覧。
  42. ^ 「2013年 日本映画・外国映画業界総決算」『キネマ旬報(2月下旬決算特別号)』第1656号、キネマ旬報社、2014年、 201頁。
  43. ^ TVステーションダイヤモンド社)関東版2016年1号 84頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

NHK 連続テレビ小説
前番組 番組名 次番組
おしん
(1983年度通年)
NHK BS2 連続テレビ小説・アンコール
おしん


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